「エンデと語る」
(朝日新聞社、1986年)

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この本について
T:『モモ』はイタリアへの私の感謝の捧げ
ものであり、愛の告白でもあります。
U:心理分析なんて終わりのない迷宮です。
真の自己とは自身の外にあるものです。
V:失敗につぐ失敗、そのおかげでバスチアンは、
最後に正しい道を見つけました。
W:緊急の関心事は、どうやって経済成長の強迫から
人類を自由にするかです。
X:モラルとは直観です。そして直観とは
明々白々なる体験のことです。
Y:本屋でありとあらゆる出版社のアドレスを書き写し、
原稿を送りつけました。
Z:忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ、
人格が豊かになります。



この本について

この本は、ドイツ文学者の子安美知子が、彼女の娘でありミュンヘンのシュタイナー学校を卒業してこの当時はミュンヘン大学の日本学科に在籍していた(その後ベーシストになり、TMNの宇都宮正隆のバックバンドで活躍)子安フミをアシスタントとして、1985年7月22日(月)にミュンヘンで行った対談を記録したものである。この会談を再構成した内容が「朝日ジャーナル」1985年10月25日号に掲載されているが、この本では当日の会談中のハプニングについての台詞までしっかり(ある意味ではばか正直に)掲載されている。彼ら3人が直接会うのはこの時がはじめてだったが、それ以降美知子はエンデ関係の数多くの業績を残すことになる(エンデ著書の邦訳、彼の来日の際の通訳担当など)。ここではあくまでもエンデの発言部分だけに焦点を絞っているが、彼の発言を補足するようなかたちで語られている子安のことばにも注目をする必要はあるだろう。

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T:『モモ』はイタリアへの私の感謝の捧げ
ものであり、愛の告白でもあります。

 対談はまず、ホフマンの死後エンデが西ドイツ(当時)に戻った理由について美知子が問いかけるところからはじまる。1971年にイタリア・ローマ近郊のジェンツァーノに家を買ってホフマンと二人暮らしを始めたエンデは、妻の死後周りにドイツ語を喋る人がいなくなってしまったために、ドイツ帰国を決意する。なぜなら、「外国生活が長すぎると、私の言葉に問題が生じる」からだという。作家としてさまざまな作品を著すことを職業としているエンデにとって、イタリア人だらけの環境で生活しているうちに自分の商売道具であるドイツ語がサビてしまうことだけは何よりも避けねばならず、15年住み慣れたイタリアを離れ、青春時代を過ごしたミュンヘンに帰ってくる。だが、彼はこのイタリア生活を有益だったという。「私がいちど自国から出ていった、そのことは必要でした。私は、自分の国語、自国の文化を、よりよく理解したかった。それをいちど、他人の目を通して見、他人の耳を通して聞くことが必要だった。いわば外から中を見ることが。けれども、今は、もう帰ってこなければいけません。そうしないと、私は少しずつ自分の言葉を忘れていく」そうやって自国語のニュアンスにさらに敏感になってエンデは西ドイツに帰ってきたのである。そして、そのイタリアへの気持ちこそが、この章のタイトルに掲げた、『モモ』はイタリアへの私の感謝の捧げものであり、愛の告白でもあります」なのである。

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U:心理分析なんて終わりのない迷宮です。
真の自己とは自身の外にあるものです。

そして3人はエンデが当時仮住まいとしていたホテルに到着し、子安親子に「モモ」の各国版を見せ、ロシア語版ではマルクセンティウス・コムヌスという「赤い王」の逸話が削除されており、それは翻訳の必要がないはずの東ドイツ版でも同様だということを語る。それからエンデの作品について雑談が続いたあと、美知子が「オリーブ」で語られていた経済の話に入るが、そこでエンデはこのような言葉で現在の経済機構の問題を提示する。

「私は今日の世界はすべて資本主義体制だと見ます。マルクス主義だっていまではみんな資本主義になっています。ただ西側が私的な資本主義であるのに対して国家を単位とした資本主義になっていることだけです」:一般的にわれわれは経済体制を論じるときに資本主義と共産主義を近代社会における対極的な体制だと考えがちだが、エンデによればこの両者は根本的にそれほど相違がないのである。資本主義経済を成立させるためには以下の三者、すなわち労働者と消費者と資本家が必要なわけだが、このうち前者2つを取り巻く状況は共産主義国家においても全く同じであり(労働者は企業に雇われ、企業の業務を遂行する役割を果たし、消費者はそんな企業が生産する財やサービスを消費するが、この両者の間には何のつながりもない)、最後の資本家の役割を共産主義国家では国家が果たし、資本主義が陥りがちな搾取(つまり長時間低賃金で労働者をこき使うこと)的ではない経営を行うよう心がけているだけの違いだったのである。そして国民の福祉を最優先する国家が企業家の役割をも果たしてしまったために、企業の経営効率は二の次にされてしまい、経済が行き詰まり、それがこの4年後に起こることになる共産主義国家の崩壊へとつながってゆくことになるのである。

「この体制がやがてどうしようもなく、人々にいったい何が根本原因なのかと、考え直しを迫るでしょうもう論じあきた、と人々が感じるのは、・・精神、文化、そのほか何を問題にするときにも、私たちの現在の生活の基本的なところを実際には変えるつもりのないまま、議論するからなのです。たとえば経済問題ひとつをとってみても、・・お金の性格、金融の基本については、根本的な考え直しをしないまま論じている」:結局現在の資本主義は永遠に続き、好不況の波はあるものの大局的には誰もが次第により豊かな生活を送れるようになっている、という一般的な思い込みのおかげで、今まで資本主義体制は生き延びることができたわけだが、実際には世界のどの国を見ても自由主義経済である限り、先進国・発展途上国問わず実際には貧富の格差が拡大しており、それだけ豊かになった人たちがその富を社会に還元せずにマネーゲームに流用しているためにバブル経済がアジアや中南米の各地で起きてはそれがつぶれて経済危機を招き、業績不振に陥った企業が帳尻を合わせるために罪のない労働者を大量解雇する、ということが現実に世界で起きており、本当にこの経済システムでいいのかもう一度問い直す必要がある、ということである。私が上記に付した解説は1998年末現在の世界経済の大局を描いたものだが、冷戦終結前にエンデが発した言葉が現在の経済の実態に即しているという事実に、われわれはもっと素直になるべきだろう。

「地球上の人間の五分の一は、どんどん金持になります。そして残りの五分の四は、どんどん貧しくなっていく。こちら側の人たちは、・・お金だのそのほかいろいろなものを第三世界に送ります。・・けれど、そんなことはみんな、その場限りのカンフル注射でしかなくて、ナンセンスです」:結局資本主義という大規模な搾取装置があり、その中で最低賃金でこき使われる人の国と、それらの経済活動で得られる巨万の富を享受する人間の国とに世界が二極分化してゆく中では、援助物資を送って飢え死にする人の命を少しぐらい永らえたって大してその貧しい人たちの状況を変えたことにはならないことをエンデはここで語っているが、だからこそそんな偽善的なカンフル注射よりも、なぜそれだけ貧しい人が生まれてしまうのか、その構造を探ることのほうがわれわれにとって重要ではないだろうか。

「今日なお学問の公式見解とされているダーウィニズムは、資本主義社会の仕組みを自然科学的に正当化しています。つまり自然界での淘汰の理論を、経済生活での弱肉強食のあり方に通用させて、・・精神生活とか文化というのは、一種のぜいたく以外の何物でもなくなってしまいます」:現在の資本主義経済のことを語る際につねに強調されることが「自由競争の大切さ」ということであるが、それは結局経済領域に生物学の理論を応用したものであり、「優勝」という点では文句ない制度であるといえよう。自由競争が品質向上のための努力を生み、ひいてはこれほどまでに発達した工業技術を人類が獲得するに至ったのである。だが、その「優勝」を獲得するためにはその企業(特にその従業員)はたゆみない努力を強要されるわけであり、生活から「ゆとり」が失われ、ぎすぎすした気持ちの中で毎日を過ごさざるを得なくなる。それよりも問題なのは、「優勝」に付随する「劣敗」にどう対処するかということが全く示されていない点である。自然界だったらその敗者は地球上から絶滅してゆくのだが、経済自由競争の敗者に同様のこと、つまり負けたからといって、彼らに滅び去れとはいえない。現在の自由競争経済は「負けるな、みんな頑張れ」とはいうものの、悲運な敗者に対してはにべもなく当たる。職を失うと収入源がなくなり、アパートの家賃が払えなくなるとホームレスになってしまい、そのホームレスが街中で野宿生活をしていると彼らに対して社会的制裁(投石、嫌がらせ、それに逮捕、投獄など)が無慈悲にも下される。そうなると音楽や文学、それに美術などのいわゆる"文化"は贅沢品、つまり「経済自由競争の枠組みの中では無用の長物とみなされるもの」でしかなく、競争に勝って勝利の美酒を堪能している人にしか享受できない、特権的生活になってしまうのである。

ここでエンデは、チューリッヒでの体験談を語る。彼は現地でチューリッヒの町並みがきれいか、と聞かれた時に「きれいな街です。清潔です。ただスイスの兵器産業が世界中に生産している人間の死体を路上に想像してみるとすると、この街もそんなにきれいではないでしょうね」と、スイス人にとっては多少嫌味な発言をする。もちろんその死体はスイス国内ではなく、南米やアフリカや東南アジアなどの政情不安地帯で毎日「生産」されているのでありるが、彼はこれを「われわれが生きている資本主義体制の結果」だという。そして「これが続くわけはありません。単にそれが道徳的によくないことだから、という理由だけではなく・・そんな体制自体が、貫徹不可能なシステムだからです」と語っているが、ここで重要なのは、エンデがこの死の産業に、道徳面からではなく経済面から考察をしている点である。「殺人は人間の道徳にもとる行為だからやめろ」などというきれいごとをいうだけなら誰でもできるし、そういった発言や政治デモは長年繰り広げられてきたが、それにもかかわらず今日に至るまで戦争がなくなる気配はない理由の一つに、兵器産業とその顧客とのエゴの一致が挙げられよう。例えば社会不安があったり近隣諸国と深刻な対立関係にある地域では、国家(この場合は反政府ゲリラでも別に構わないが)が国民に対し武力的に威嚇することで国体保持を図る必要があり、そのためには軍備を増強することが欠かせないが、最高の軍備を獲得するためには金に糸目をつけない国家や反政府ゲリラは産業界にとって貴重な顧客なのである。そしてそのような軍備を持った政府やゲリラはそれらを使用することによって軍事的支配力を拡大しようとするのだが、ここで大事なのは、それだけの兵器などを購入する金がどこから来ているか、である。特に発展途上国などでは軍備に比較的多額の経費をかけねばならず、それだけ社会資本や教育環境の整備に回るお金が減ってしまう。ということは社会の貧困層はそれだけ貧窮生活から抜け出すのが困難になるわけであり、場合によっては彼らが反政府ゲリラ活動に手を染めて自分の生活を守ろうとしたり、そこまで行かなくても窃盗や強盗などの犯罪に走ったりするわけで、そうすればさらに前述のスイスなどの軍事産業は儲かってしまう。ただ経済的に見ればこれらの軍事産業は低開発国が貿易を通して獲得した貴重な外貨を容赦なく収奪してゆく存在でしかなく、これらの国をどんどん貧しくしてしまっていったら、やがてそのような資金さえ払えない状況が生まれることは十分に想像できることであろう。

あと、この章で「自己認識」に関する興味深い発言をエンデはしている。「心理分析などというものは、どこまでやってもきりがありません。この世のはてまでも続けられます・・そうではなくて、真の自己とは、自身の外にあるものです」というのがそれだが、ここで明らかになっている点として、心理分析では奇妙な自己しか見つからない。そんな自己の中に潜んでいるゲテモノ的なものにアイデンティティを求めようとしている人がいるが、そうではなく外的世界と自己との関わりの中にこそ自分のアイデンティティがあるというのである。エンデによればこれはシュタイナーのことばらしいが、スペインの哲学者、オルテガの「私は私と私の環境である」ということばと共通点があるように思える。普段われわれは自分というものを自己の肉体と精神だけでとらえがちであるが、その自分は実は常に自分の周りのもの(エンデの言葉で言うなら「外的世界」、オルテガの世界でいうなら「環境」)と密接な環境にあり、その環境を通してJibunnno生が規定されるというのである。たとえば同じ有能な数学の学生でも、コンピュータ関連の企業に入社すればコンピュータ技師になるのに対し、銀行に就職すれば経済アナリストになってしまうわけだが、これは自己の外的環境が自分を形成するということを意味している。サルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と述べているが、そのサルトルでさえ自分の環境から全く自由であったわけではなく、むしろその環境が彼をあのような哲学者にせしめたわけで、この違いにわれわれは十分留意する必要があろう。

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V:失敗につぐ失敗、そのおかげでバスチアンは、
最後に正しい道を見つけました。

この章では、まず「はてしない物語」の映画化の際の訴訟問題が話題になる。スピルバーグの映画が大ヒットを記録したことはみなさんもご存知の通りだが、この映画の脚本が原作者であるエンデの意図と異なったものに改竄されていたということでエンデは訴訟を起こすがそれに敗訴し、かなりの額を賠償金として支払わなければならない羽目に陥ってしまったのだが、このページの主題からは外れるのでここでは詳述しない。

それから、失敗をする余地を残さないようにする傾向にある現在の教育についての話になるが、ここでエンデが人間の成長や想像についての意見を、因果論と対比しながら展開している。

1:「現代の世界はすべて、因果論的論理の上に構築されています。テクノロジーは、つねにこの論理の枠内にとどまらなければ機能しません。・・しかし、こと人間となるとちがってくるはずです。人間には、原因・結果の論理だけでは規定しえない面が、はっきりあります・・人間をこうやって因果論で解明するつもりになると、人間の直観というはたらきを除外することになります」:人間の意識に内在する直観というものが、非因果論的なものであることが明らかにされる。このあとで彼は「直観が因果関係によって生じることは、決してない。・・ただ、それは無前提に生まれる、という意味ではありませんよ」と直観の持つ性質を明らかにして、次のような意見を明らかにする。

2:「人間の自由を認めるか否かの問題です。自由があるとしたら、人間の全行為を原因・結果では説明できない。逆に因果論を人間にあてはめるとしたら、そこには自由が存在しない。そして、人間の中に自由がないとなると、創造力も認めないことになります。人間の創造性というものは、いつも因果論的束縛なしに、何かまったく新しいものを、自分のなかから生み出すことです。・・そしてまさにそのなかにこそ、人間の価値があると私は思います」:人間がなす行為は決してすべてが因果論的なものではなく、その因果論を無視するように生まれ出てくるものが新しい世界を生み出すのである。これは別にエンデの詭弁ではなく、アインシュタインでさえ自分がどうやってあのような奇抜な科学理論を思いついたかについては説明できないとしているが(「アインシュタインロマン」第5章参照)、このように人間の精神が非因果論的な側面をも併せ持つ事実をわれわれはもっと謙虚に受け止めるべきであろう。

3:「ミツバチが突然五角形の巣をつくることなんてことはできません。・・自然には、だから一種の因果論があります。けれど、これを人間にあてはめるのだったら、人間からまさに一番人間的なものを取りさることになる。つまり、自分のなかから新しいものを生みだす可能性、完全に因果論の外にあって、世界に新しく働きかける可能性−創造性と名づけるべきものを、奪い去る・・この可能性を人間から取りさって説明し、論じ始めると、人間自身は攻撃的になる。内的牢獄にとじこめられるからです。自由が奪われたと感じるから、あばれだす。現代では、人類全体にわたって攻撃性が顕著になりつつありますが、私は、その大部分がこの因果論による人間観に対する抵抗、防禦の反応として出ていると思います」:ニホンザルが地域によって異なった生活習慣を持っているように、人間以外の自然をすべて因果論によって説明のはかなり無理があるように思うが、それでも人間がこれだけの文明を築き上げるに至ったのにはやはりその創造性がその根底にあるのはまちがいない。その創造性が新たな人間性を作るものであり、それは因果論によらない人間の自由な精神に由来するものだが、それが否定されてしまうと人間は自由を謳歌できなくなり(多少日本の商業主義に迎合したような表現を使うなら「人生をエンジョイ」できなくなり)、不満が鬱積し、やがてそれが攻撃性というかたちで発露されるというが、それこそが現代の「キレる」子どもたち(日本だけではなく、米国でも銃を学校に持ってきて乱射した事件が発生しているが)を生み出しているのであるが、それをエンデは10年以上前に既に予見していたといえる。

ここから「はてしない物語」でのバスチアンの失敗についての話題に移るが、エンデ自身「私は、あれやこれやの時点で自分のくだした決断を、長いあいだあれはまちがいだった、と思ったものです。ところが何年かたってから、とつぜん、いや、あれは正しかったのだ、と気づいたりする。そしてまた五年たって、いや、だから失敗だった、とか。正しいのか、正しくないのか、知ること自体むずかしい」と、人生において何が「成功」で何が「失敗」かについてさえ明確な基準はない、という。私はこれをさらに発展させて、あるひとりの個人だけではなく人類全体の歴史にも同じことが言えると思う。たとえば今世紀のヨーロッパでナチはとんでもない自民族中心主義で大陸全体にわたって測り知れないほど深い傷痕を残したが、それを繰り返すまいという人たちの意志によって人権憲章ができ、現在のヨーロッパではEUという共同体の中で共存共栄関係を築き上げようとしているわけであり、この点は見逃すべきではないだろう。イタリアでファシスト政権崩壊後にある町でムッソリーニの銅像を破壊しようとした住民に対し、市長が「歴史は変えられない」というひとことで住民に対し保存の必要性を説いたことがあるが、正しかろうがそうでなかろうが歴史というものは残るわけであり、われわれ後世の人間としては歴史を過去の人類が起こした事実として謙虚に受け止めることが必要である。エンデはこのような失敗の重要性を自分の俳優としての経験で知った、といい、「だいたい芝居の練習っていうのは、できるだけ失敗をかさねておくためにやるようなものです。失敗をしてはじめて、何が正しいのかはっきりする」と語っているが、何故に自分の行為が「失敗」だったのかをしっかり認識することこそが成功につながるのである。

ところが、このような失敗を恐れない態度(この本の中では「パトスへの欲求」ということばが使われているが)はこの現代社会ではなかなか発露できないし、発露しようとする人も少なくなっていることについて、エンデは以下のような言葉で明らかにする。まず「因果論的に構築されている現代社会では、人間が危険に挑戦したいという情念をおさえつけられて、出口の見つからない状態になります。今日では、冒険心を発露させようとしたら、反社会的なかたちでしか出せない。二十世紀にはいってからのパトス的人間というと、ギャングしかいない・・大企業に勤めるひとりひとりの社員は、機能をはたさなければいけない。冒険をしたいなどと、思ってはならない」と現状を明らかにした上で、「人間が人間になろうとするほんとうの成長の力、それが現代社会によって罰を受けているようにみえます。それで人間がどんどん勇気をなくす。やってみようともしないで、最初から小さくちぢこまって、自分を周囲に適応させる。学校教育をみてください。二十年前にはまだ学生は革命を起こそうとした。今ではもう彼らは反抗もしません・・自分たちのやっていることが、そもそもどういう方向に行っているのか、なんの役に立つのかということなど、あれこれ考えない」と、現代の資本主義社会で「使える」人材の育成工場と化してしまっている教育機関が人間の創造性を奪っていることを示す。

このあと子安親子の家庭内でのもめごとが話題になり、それからエンデの芸術論が始まる。まずエンデは「たしかに、戦後四十年の現代文学においては、作者は読者を啓蒙し、知られざる事実のあれこれを知らしめるものだ、とする考えが風靡してきました。いわば、作者は読者に教訓をたれる教師だ、といったイメージです。が、私は、そんな創作態度を大いなる思い上がりだ、と断じます」とブレヒト的芸術論、つまり芸術を教育的な目的に使おうとする態度を拒否し、エンデ自身その主義を貫徹するためには「私自身が作品中で解釈におちいらないこと、それがじつはほんとうに困難なことでした。いけない、これでは説明になる、と思われるところは捨てる、そういうふうに自分に禁じるのは、骨の折れることでした」と、すべてを知的に理解させようとする現代の傾向に反旗を翻すことの難しさを語り、芸術の役割についてこういう。「私が音楽を聴いて、理解すべきことがありますか? うん、まあ、あるかもしれない。私が音楽学でも研究して、作曲法か何かを知っているとしたら、曲の構成を見きわめるとか、そんなことをするかもしれない。でも、理解する? 音楽に理解はいらない。そこには体験しかない。私がコンサートにでかける。、そこですばらしい音楽を聴く。帰り道、私は、ああ今夜はある体験をした、という思いにみたされている。でも、私は、コンサートに行く前とあととを比べて、自分かいくらかりこうになった、なんて思うことはありませんよ」そして芸術が人間に対して果たす役割が「ホメオパティー的な治癒」、つまり全く同じ毒性を持つものを少量人間に投与することによってその毒に対する抵抗性をつけさせる療法であると述べ、そのような観点から一見悲観主義的に映る「鏡のなかの鏡」が読まれ泣ければならないとしている。そして、芸術が日常とはある意味で完全に切り離されていることについて、「あなたが街を歩いていて、向こうの歩道でひとりの若者が女の人を殴っているところを見たとします。と、その瞬間、あなたは道徳的な決断を迫られます。見てみないふりをするか、逃げ出すか、それとも走っていって制止するか。それが実際の人生です。けれども芝居を見ていて、オセロがデスデモーナを殺すところを目にしても、そこに飛んでいく必要がないばかりか、それを楽しむことすらできる。その殺人を、エンジョイするのです。つまり、その瞬間、あなたは完全に日常のモラルの世界から脱けだして、芸術の領域にはいりこんでいられます。芸術と日常とはまったく別の二つの領域です」と語り、それゆえ「本当の芸術は、耐えられないほどの悪や罪を描きます。悲劇の名作なんか、本当に耐えがたいものです。でも、それが舞台という魔術的な次元に移しかえられることによって、ホメオパティー的方法で観客のなかに逆方向の力を呼びさまします。観客をかえって健康にしてくれる力です。それが芸術の秘密です」というのである。

「鏡のなかの鏡」のことが話題に出たが、エンデはこの不思議なタイトルについてもコメントしている。鏡のなかの鏡には一見何も映っていないように思えるが、そうではなくある画像が無限に複製されて広がっていく図が映ってゆくわけで、それは読書の際に読者と本との間に起こるプロセスに似ているという。「同じ本をふたりの人間が読むとすると、そこで読まれるものは、けっして同じではないと思います。それぞれが、本の中に自分を連れ込むからです。自分の連想、自分の思考、自分の経験、自分の感受性、それらすべてを投入して読む。だから本はいつも、ある意味では読者を映す鏡です。逆に、同一の人が二つの違う本を読むとすると、今度は、その二つがそれほど異なりあう本ではなくなる。たとえそれらがたがいに違う資質の作家のものであってもです。同じ読者が読むと、ふたつの本は共通する何かをもつことになる。鏡を見る読者が同一人物だからです」結局本の中にある内容はその読者の精神によって異なった方法で把握されるわけで、本を読むということはとどのつまりは自分自身の内面にあるものを読み取ることにほかならないといえよう。

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W:緊急の関心事は、どうやって経済成長の強迫から
人類を自由にするかです。

 この章は子安がエンデになぜ原子力発電所の建設に反対しているかを聞くところから始まるが、彼がここで述べる理由は一般の環境活動家のそれとは一線を画している。「私がいちばん問題にしたいのは、もっと本質的なことです。人類が資源エネルギーをひたすらほしいままに使いまくり、その上にのっかって機能している現代の経済生活のことです。それがもしかして何千年もの間、人類のエネルギーとして恵まれていたはずだった石油を、たったの百年で使いきらせてしまうはめに追いやっているのではありませんか」つまり、毎年鼠算式にエネルギー消費をとめどもなく増やし続けていいのか、という根本的なところからエンデの問いかけは始まり、「それ(無意味なエネルギー浪費)がまたもや、とどまることを知らぬ現代消費社会の「成長」システムと結びついている。去年より今年、今年より来年と消費を発展させることにやっきになっている。これをどこまでも発展ばかりさせていったら、もう社会そのものが存続しえなくなるはずなのに、「もっと利潤を!」が脅迫的な強制になってしまっているのです」と、その「無意味なエネルギー浪費」を強制している現在の経済システムを非難している。そしてエンデはこういう。「原子力発電は安全か否か、の問いは第二順位になります」要するに、どのようにして増える一方のエネルギー需要を満たすべきか、ではなく、どのようにしてこのエネルギ−需要の増加を食い止めるか、がエンデにとってはより重要な問題であるのだが、それらすべてを統括して彼はこのようにいう。「どうやって、この経済成長の強制から人間を自由にするか」

 そして、彼の言葉を借りるなら「乳しぼり女の計算」(日本語で言うなら「取らぬタヌキの皮算用」)でしかない現在の経済システムについて痛烈な批判を浴びせる。まず、「今日の経済界のたたかいは、生産力を高めるためではなくて、市場をどうやって広げるかのたたかいでしょう。つくることは問題ではない。つくったものの捨て場所さがしです。なぜ、アメリカは中国と仲よくしようとするか? あそこに巨大な市場があるからだ、そこに目をつけているにすぎない」と、いかにして自分たちの生産物をさばいて利潤を獲得するかという点で激しく行なわれている経済競争について言及したあと、「買う人はだれか? 支払い能力があって、しかも買いたいと思う人がいなければならない。そこでまたもやおみごとな論理が成り立ちます。「私たちの品物を買いとれるようになるために、彼らをまずは工業化させ、十分な金もうけをさせて、その金でこちらの品物を買ってもらおう」−こういうのが「乳しぼり女の計算」です。おしまいまできちんと計算しつくしてみたら、どうしても割り切れなくなる計算です。おのずと自己矛盾におちいることがあきらかですから」と、生産物をさばくために何とかして市場を拡大しようとするもくろみは、必ずどこかで挫折するだろうと予言している。この対談がなされた80年代後半から90年代にかけて、アジア諸国の経済が大きく成長し、アメリカが意図するような市場拡大が実現したように見えるが、この成長を達成した陰には多額の債務があり、その債務が返済不可能な額にまで膨らんだりしたためにタイやインドネシアなどの諸国が金融危機に陥ったことをわれわれは忘れるべきではないだろう。

 さらにエンデの経済論は、アダム・スミスの「国富論」の時代にまで遡る。彼は自由市場がバランスのとれた経済を実現すると考えていたが、エンデは「それは幻想だったのです」とこのシステムに欠陥があることを語り、それについて「このシステムが続きうる条件は、まず第一に、植民地が必要だったこと。そこで気が向くままに搾取が可能だったこと。それから、社会的弱者、つまり労働者階級が存在して、彼らを搾取することが可能だったあいだです」と説明する。確かに大英帝国時代のイギリスの経済は、植民地に自国の製品を不当に高い値段で売りつけることで本国資本の産業を持たせることに成功したが、これは本当の意味での自由市場には程遠く、あくまでも帝国主義という政治的・軍事的庇護のもとに成立した経済システムでしかない。現在の経済では前パラグラフに見るような理由で市場については確保できているが、製品を低価格で生産するためには安価な労働力の確保が不可欠で、結局開発途上国で労働力の買い叩きが行なわれている。その結果が、「たとえばエチオピアのような国ひとつ見てみても、西側諸国からの借金の利子を払うためだけに、自国で産出する食肉全部を輸出にまわさなければならない」ことだという。つまり、「あの人たちは、本来自分でたべていけるだけの力をもっているのに、こちらの繁栄社会の私たちが、日々の食卓に肉料理を並べられるように、すっかり輸出することになる」のであり、「ここに私たちの経済システムの、おそるべき・・あえていいますが犯罪性がかくされています」とまでいう。

 だが、さらに悪いことに、前世紀と違って現在はそのような経済構造の中で自分たちが生きていることを誰も認識できないことである。「ああ、南のほうの貧しい国の人たちだ。ああ、子どもたちが飢えている。あんなにおなかがぶよぶよして・・助けてあげなければいけない。薬を送ってあげよう。お金をカンパしよう。そういう同情心こそ起こしても、私たちのせいで犠牲になっているのだということが、直接には分からない」と、複雑に入り組んだ国際経済の中で富を収奪され、自分たちのためにさらに貧しい生活を強要される人たちとの関係が認識できなくなっている現状を批判する。

 ここで話題はがらりと変わって、アッシジの聖フランチェスコの話になる。「もし来週世界が滅びるとして、そのニンジンがたべられないと知っていたら、どうするか」とたずねられて聖フランチェスコは「それでもこのまま種をまきつづける」と答えたことを「オリーブの森で語り合う」でエンデが引用していることについて子安が質問するが、これをエンデは古来ヨーロッパの神学にある「自然を超えた」人間の徳であり、これは「信」、「愛」、「希望」だという。なぜかというなら、これらの徳は「〜にもかかわらず」生まれるものだからであるという。たとえば「希望」とは、戦争が強いる極限状況下にあってもなお生きようとする強い意志をもって困難に立ち向かう人間を支える心理をいうのであり、「愛」も必然的な因果関係とは異なった次元で起こるものであり(なぜ他ならぬこの人を愛するかということについて、普通人は理論的に説明できない)、そして「信」(「信仰」と「信用」のどちらもあり得るが、ここでは文脈から「信仰」の意味であると判断できる)についても、なぜ神を信仰するのか教会関係者に問い詰めたところで因果論的思考を満足させるような回答を得ることはできない。これらの徳こそが人類を唯物論や因果論の呪縛から解き放ち、人間らしい生活へとみちびいてくれるのであり、そのことをエンデはここで暗示している。

ここから話題は、シュタイナーの思想や人智学関係のことへと移ってゆく。エンデがギムナジウムの最後の1年間をシュタイナー学校で過ごしたのは有名だが、それ自体は彼の思想形成の過程において重要ではなかったことについてエンデは「卒業後はむしろ、アントロポゾーフ(人智学の実践者)と呼ばれる人たちには距離を置いていたのです」と証言している。だが、それから「私はひとつの問いにゆきあたった。いったいこの世に、生きたもの、魂をもつものについて何かを教えてくれる「学問」はないのだろうか?」という問いをエンデは持ち、さまざまな本を読み始めるのだが、その中でシュタイナーについての言及が多数あり、そこでシュタイナーを読み始めた、というのである。そしてまた、シュタイナーの思想を読み解くときの注意点として、「彼の著作を読むときには、けっして彼を現代の大学教授のように思って読んではならない」と、普通の論文のように理詰めで読み解こうとすべきではないことを語っており、シュタイナーがその著作の中で語っている矛盾について、「彼の言葉は、長いプロセスをもつ認識の道からきている。その言葉に何か六法全書でも頼るような感じでしがみつくのは意味がない。・・シュタイナーを読むということは、読み手の思考の中にたえず想像のプロセスが生じるのを促がすことなんですから」と語っている。シュタイナーの本を読む上で大切なのは、結果ではなくその結果を生み出したプロセスであることを忘れてはならないのだ。

また、シュタイナーの思想が最近注目されるようになってきたことについて、エンデは妖精たちと共同作業をすることで収穫量の増加に成功したスコットランドの菜園の例が語り、「人間は、いまやふたたび「自然の精(ガイスト)」たちと共同作業をすることになれていく必要があるのではありませんか」とわれわれに問いかける。そしてそういった意識の変革、すなわち唯物論ではとらえられない部分の自然と共存してゆく姿勢が必要だというが(これについては「アインシュタイン・ロマン6」が詳しいのでそれを参照してほしい)、ただその意識は「先祖返りであってはならない」のであり、それについて「それを試みようとしたら、ナチス・ドイツのようになるか、最近のホメイニのようなケースになります」と述べている。あくまでも現代のわれわれにとって必要なのは、「世界が主観と客観に二分されるとする仮説を、いちど考えて考えて終点まで考えてみる。そして、ちがう、それはウソだ、とはっきり見ぬく、それを自分でやってみるのです」だという。

また、「東洋とヨーロッパのあいだに、真の芸術上、文化上の対話がおこなわれることに、私は大きなのぞみをかけている」と語り、その理由を「伝統をもちながらも、伝統自体の相違がおそろしく大きい、そのゆえにこそ相互の対話はひじょうに有益であるはずです」と示している。実際に彼は相当の親日家であり、機会があるたびに日本とヨーロッパの相違やそれゆえに生まれる可能性について語っており、この本でも「ゴッゴローリ伝説」で歌舞伎の手法を用いるとしているが、実際のところどうだったかは私には残念ながらわからない。

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X:モラルとは直観です。そして直観とは
明々白々なる体験のことです。

この章では、まずエンデが彼の作品を通して実現していることについて語られる。彼は「私がいつも試みるのは、中世の錬金術師と似たやり方、あるいは昔からメルヘンの語り手たちがやっていた方法、つまり私たちの外界の形象を内面世界の絵姿に翻訳するというか、変容させるプロセスです・・文化とはおよそ、地球上のどこの文化であれ、どの時代であれ、外の世界を内的世界の尺度にしたがってつくりかえたものにほかなりません」と語り、20世紀の文化が抱える問題について、「どうにかして外部世界と内面世界を、もういちど相互に浸透しあえるもの、循環可能なものにしていくこと、たがいを鏡として、そこに映しだし、映し返されている姿が見つかるようにならないと、極言すれば、私たちは文化をすっかり失うことになります」と、外部世界と内面世界が切り離されてしまった現代が潜在的に抱えている危機について告発している。大都市の殺風景で人間味を感じさせないビル群に囲まれているうちにわれわれ人類(特に都市生活者}が徐々に人間にとって必要な何かを失っているとしたら、それこそ解決に急務を要する事態に突入しているといえるのではないか。

それから「モモ」についての話になるが、まず計量思考の代弁者である灰色の男たちが計量できない「質」を把握できないことをエンデは述べたあと、世間で一般に広まっている、「もっとせかせかしない人生を送りましょう」というモモ評に対し、「私としてはもう少しさきのところまで言っているつもりです」と、思わず作品についての自分なりの見解を述べてしまい、「人間から時間が疎外されていくのは、いのちが疎外されていくことであり、そう仕向けているおそろしい力が世界にある。しかし一方に、別の力がはたらいており、これが人間に治癒の作用を送ってくる、と、そこまで暗示したつもりです」と自分の本音をさらけ出しまうが、こうやって自分の意見を漏らしてしまうあたりがエンデらしいといえよう。

さらに、そしてこの章のタイトルである「モラルとは・・」に入ってくるのだが、「真のモラルとは、外からの規範に従うわけでなく、自身の内発的決断として生じる」として、人間はその生涯のあらゆる瞬間にモラル的な決断を迫られる存在であることを明示している。そのあと子安が文学者としてどうあるべきかについてエンデに問うが、その答えとしてエンデは文学作品に内在する質を伝えることだとしている。自然科学的思考では測れないが、それでも確実に存在している質について教えることこそが文学教師の役割なのだ。私は個人的には、モラルと質とはどちらも自身の内発性(英語で言うならspontaneity)が生み出すものだと思うが、このページを読んでいただいた皆さんはどう思っていることだろうか。

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Y:本屋でありとあらゆる出版社のアドレスを書き写し、
原稿を送りつけました。
Z:忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ、
人格が豊かになります。

Yでは主にエンデの青春時代の話がされており、このページにふさわしい内容が少ないので詳細には立ち入らない。

対談も終盤に差しかかり、そろそろ夕食の時間だということでこの3人はミュンヘン市内の日本料理店に向かう。そこでエンデが初来日した際に日本料理店で多くの日本人女性に懇切丁寧にされた経験を語り、そこで「日本は男性社会」と語る。これは単に彼が日本滞在中の体験から引き出した意見にすぎないが、それがら男女の社会的地位についての話題になり、そこで彼は「男と女は違う。幸いなことに。/いわゆるウーマン・リブの運動の結果は、女も男とおなじことがやっるという事実の証明以上にはならなかった。ほんとうに女であるがゆえの特質を、正しく見つけだして評価することが、じつは真の解放運動ではないだろうか」とコメントする。特に公的な地位で女性が男性と同様の地位を獲得しつつあるのが現在の状況だが、だからといって女性が男性化してしまうことで女性ゆえの特質を失ってしまうことをエンデは恐れていたのだ。

そして最後に、エンデは興味深いことをいう。「私が思うに、人間には驚嘆すべきふたつの現象がある。ひとつは「記憶」で、これについてはだれもが取りあげている。・・もうひとつは、「忘れる」といういとなみで、これは私は「記憶」以上に重要なことだと見ています」と、忘却という人間特有の行為に評価を加え、その理由を「いちど記憶したものが、消えていってくれる・・それはどこへいくと思いますか? 無意識のなかへですよ。それは私の人生の全継続性の基礎になります。・・たいていのものは無意識の深みで、すっかり変形、変容し、それら膨大な意識下記憶の総和が、私に自分はひとつの人格だ、という感情を可能にしてくれます」と、その役割を説明する。さらに、「忘れて変容した記憶が多ければ多いだけ人格が豊かになる、ということです。・・人間は過去をたずさえている分が大きいだけ、未来をも大きくもっていることになります。意識的に記憶している過去にとどまらず、すっかり忘却の底に沈んでいるであろう過去が、それぞれの人間のなかで、かたちを変えつつ未来に反映してゆく」と、意識下の記憶の重要性を説いている。このような無意識のプラスの効用を信じる態度はフロイトのそれ(過去にその当人が負ったトラウマが現在に至るまでその人の成功を妨げる障害になっているという論)とは明らかに反するが、ユングに疎い私にはこれをまとめられないのが残念である。

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