「オリーブの森で語り合う」
(岩波書店、1982年)

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この本について
冒頭のドストエフスキーのことば
「ユートピア」の不在・資本主義の抱える問題
「量」と「質」
フランス革命の合い言葉
現代の価値とは?
謝礼に関する洞察2題
演劇や文学について


この本について

この本はSPDの政治家エアハルト・エプラー(Erhard Eppler)とコンタクト・シアターの主催者ハンネ・テヒル(Hanne Taechl)、それにエンデの3人(途中で妻のインゲボルク・ホフマンも登場するが)との間で、1982年2月5日(金)と翌日の6日(土)に行われた対話を文章化したものである。冒頭でテヒルが提案しているように、この対話は特定の議題について討議したものではなく、あくまでも3人のメンバーそれぞれが自分の好きなテーマを語ったものでしかないため、会話の内容を効率的に要約しようとすること自体無謀なことともいえるが、とりあえず便宜上上記のタイトルをつけて内容ごとに分類してみた。もちろんこの分類は絶対的なものではなく、複数のテーマに関わるような内容も多数話し合われているので、その点を留意してこのページに目を通してもらいたい。

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冒頭のドストエフスキーのことば

この本の冒頭の引用として、ドストエフスキーの台詞が引用されている。エンデのものかどうかは不明だが、この本の内容とも深く関わってくるのであえて全文を引用したい。

「世界を変革し、新しい世界をつくりあげるためには、まず、自分の心をいれかえて、これまでとはちがう方向にすすまなければならない。心の底からみんなと兄弟にならないうちは、兄弟愛がこの世をおおう日はこない。 / 人びとがその財産と権利を分配しあうとき、科学の力をかりても、また便宜的に外的な手段をもちいたとしても、みんなが損をせず、みんなが気分を害さないようなかたちで分配することは、けっしてできないだろう。つねに、だれもが自分の取り分が少なすぎると思い、つねに、殺し合いがはじまることだろう。人びとはたずねる。理想的な分配は、いつ実現するのだろう? / 実現はするだろう。だがまず最初に、人間が孤立している時代に、終止符を打たなければならない」

科学万能主義に否定的で、絶対者である神とのつながりを重要視したドストエフスキーらしい発言である。19世紀後半、産業革命の嵐がヨーロッパの東の果てに位置するロシアにまで吹き荒れ、技術力と資金力で全てを達成しようとする資本主義社会が成立しはじめていた時期、彼はこの社会が人間同士を疎外する傾向にあることを既に見抜いていた。資本主義経済の大量生産システムは大量の賃金労働者を生み出し、市場を獲得するための「万人の万人に対する戦い」を助長する。人は自分自身がいかにして生存競争に勝ち残るかだけを考えるようになり、周囲の人間と築いていた共同体をもはや維持できなくなり、結果的には各人が集団の中で孤独を感じるのである。これについては、後ほどさらに詳しく触れることにする。

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「ユートピア」の不在・資本主義の抱える問題

対話はエンデの「ドゥットヴァイラー・インスティテュート」(スイス最大のデパート・コンツェルンのインスティテュート)での体験談から始まる。そこで「合理主義の落とし穴」というテーマで開催され、経営者や労働組合の代表、それにローマ・クラブの会員など多数の人たちが参加した会議にエンデは招待され、「モモ」の一節を朗読してくれ(床屋のフージー氏の箇所)と頼まれ、スイスへと出かけた。そこで彼は多数の大人を前に、床屋のフージー氏の箇所を朗読したが、それを聞いた会場の大人たちは一瞬唖然とし、その後にその一節の文学的価値について討議が始まった。そこでエンデは以下のように発言した(都合につき、はしょってはいますが)。

「今世紀に入ってから、ポジティヴなユートピアというものがほとんど描かれていないことに私は注目しているのです。ジュール・ヴェルヌが描いた科学万能主義的ユートピア、カール・マルクスの社会主義ユートピア。これらふたつのユートピアが自己矛盾をおこした後、今世紀に描かれたウェルズの「タイムマシン」やオーウェルの「1984年」などは、悪夢でしかありません。今世紀の人間は自分じしんの未来に不安をいだいています。私たちはもはや、自分がいったいほんとうになにを願っているのか、を勇気をだして考えようとすらしません。ですから私としては、こういう提案をしたいのです。・・みんなでいっしょに大きな空飛ぶ絨毯にのって、百年後の未来にまで飛んでいくのです。そして今から、ひとりひとりが、その場合世界がどんなふうになっていてほしいと願うのか、発言するのです。きょう一日中やった会議のように、事実の強制という枠のなかでばかり議論しているかぎり、そもそもどういうことを願っているのかという問題は、もはやまったく考えることができないのではないでしょうか。・・もしも私たち全員がいっしょになって、なにかひとつのことを望むなら、それを実現するための方法や手段もみつかります。私たちとしては、なにを願っているか、を知るだけでいい。そういうわけで私は、みなさんにゲームをおすすめします。このゲームでは、ただひとつだけ口にしてはならない言葉があります。いわばゲームの法則です。「それは無理だ」というのを禁句にするのです。それ以外のことは、思いつくまま、なにをいってもかまいません。産業のある社会が好ましいといってもいいし、産業のない社会が好ましいといってもいい。工業技術をもちいて暮らしたいといってもかまわないし、できれば工業技術なんてすべて捨ててしまいたいといってもかまわない。要するに、どういう未来像が望ましいか、を発表してゆくのです」

数分間の沈黙のうち、誰かがこう反論した。「そういうおしゃべりにどういう意味があるのですか。まったくのナンセンスじゃありませんか。われわれは事実の領域にとどまるべきです。そして事実というのは、まさに、すくなくとも年3%以上の成長がなければ、競争に生きのこれなくなり、経済的に破滅するということです」そしてその後、エンデを非難したり攻撃したりする人まで現れたため、この試みは無残にも失敗してしまう。

上記の発言で「経済的に破滅するということです」と語った経済人は、日ごろあまりにも経済に関わり過ぎているため、経済の破滅イコール世界の破滅と認識しており、それは何があっても避けねばならないと思っているわけである。だが、経済活動をあくまでも人間の文化生活を実現するための手段としてとらえ、「価値のユートピアというものは、あらゆる文化の本質ですらあったと思う。つまりね、まずなにかが自分たちの未来に投影される、それからその投影された見取り図を追いかけていく・・」とあとで語っているエンデの立脚点は、例の経済人のそれとは全く違ったところにある。それがどのようなものか、現在の経済システムを復習しながら考察してみたい。

共産主義経済が一部の国を除いて実質上すべて崩壊してしまった現在、資本主義経済のみがこの地球上に存在している経済システムであるが、資本主義とはそもそも資本家が自分の資財をある営利事業に提供し、その事業で利益が出た際にそれを自分のものとする経済システムで、その意味では航海や仕入れのための費用をその方式で賄い、利益配当をしていた東インド会社が世界初の資本主義企業である。企業は資本家(複数の場合もあるが)の私有財産であり、その企業で働く人間は彼ら資本家に最大の利益をもたらすべく働くことを期待されている。企業の提供する財やサービスは企業が収益をあげるための手段にすぎず、その財やサービスが社会に及ぼす影響や、それらを享受する人間のことを考える必要はない。労働運動や消費者運動などが生まれたことで資本家以外の人間もそれら企業活動に多少参加することはできるようになったが、企業はそれに資金提供をしている資本家の私有財産であるという観念自体は、東インド会社から4世紀を経過した現在まで変わることはなかった。

資本主義経済は、確かに人類の物質的生活を豊かにする上では大きな役割を果たしたといえる。ある分野で需要があり、その需要を満たすような供給をすることで利益があがるような場合には、資本主義経済は貪欲なまでにその分野での物質的生活の発展に貢献してきた。フォードの自動車産業、ユナイテッド・フルーツ社が中米各国に所有しているのバナナ農園、近年ではマイクロソフトのWINDOWS関連の製品などはそのよい例である。だが、なぜそれらの事業に参入して利益をあげなければならないかといえば、資本家がそれらの事業を通して利益を受け取りたいからであり、必ずしも彼らの文化生活を実現するためではない。たとえば兵器製造業という、人間の文化生活を実現するという観点からすれば何の役にも立たない(もし戦争を人間の文化生活と認識するのならば話は別だが、個人的には私はそのような蛮行を「文化」とは認識したくはない)産業が成立している理由は、それらを購入する各国政府や反政府ゲリラ、マフィアなどがそれを必要としているからであり、この事業で利益が出る限りはこれらの産業は決して消滅しない。これらの事業を資金的に支援する資本家は、どのようにしてであろうと利益があがり、自分たちの懐が暖まる以上自分からそのような事業を規制して「もらえるべき」配当を失うような「野暮な」ことはしない。上記の兵器産業の例は極論にしても、かくして利益獲得を目指す現在の資本主義経済が成立し、経済人はそれら資本家に配当を送るべく利益調達に奔走する役を担わされる。その立場から逃れることができない彼らにとって、エンデのユートピア・ゲームは「非現実的」であり、「現実逃避的」でさえあるものに思えたのであるが、慧眼な読者の方ならばエンデがそのような意図で上記のゲームを試したのでないことはお分かりであろう。

ここでエプラーが経営者たちを弁護して、「経営者たちにはユートピアがある。みじめで、月並みで、これまで存在したユートピアのなかでいちばん貧弱なユートピアだけどね。つまりテクノクラシーを継続してゆくというユートピアだ」と述べるが、これこそが彼らがエンデに対してあれほどまでに攻撃的な態度を示した理由である。科学技術に立脚した資本主義社会こそが唯一完全な社会であると心の底から信じきっているので、それを否定するエンデの発言は、ちょうど天動説が主流だった時代にガリレオが唱えた地動説と同じぐらい「危険発言」であり、そのような「現在の社会体制を転覆しようと企てるもの」を何とかして排斥せずにはいられなかったのだ。エンデ自身はそんなつもりはなく、ただ経営者がどのようなユートピアを持っているのかを知りたかっただけだが、そんなものを彼らは持ち合わせていなかったのである。環境汚染や貧富の差の拡大など現在の社会構造が重大な矛盾を抱えているにもかかわらず、それらを解決するために積極的に考えようとせず、小手先の手直しだけで何とか立ち逃れようとする経済人の実態がここで明らかにされる。

だがエンデは、企業家は資本主義経済という名のメリーゴーラウンドの木馬に乗ったあわれな客である、ととらえており、彼らにむしろ同情さえしている。メリーゴーラウンドはどんどん荒々しくなり、だれもその舵を取れないでいる。その木馬に乗っている経営者たちにはこの経済システムの破局が見えているが、そのメリーゴーラウンドがあまりにも速く回転しているのでそれから降りることさえできないで、馬に乗ったまま途方に暮れている。これこそが現状であるとエンデはいう。

そんな話を受け、テヒルが小規模な労働共同体(労働者がその企業を所有し、経営も自分たちで決定するもの)を提案するが、それを受けエンデは「経済生活をひたすら経済の視点からだけながめる。そういう態度はまちがっているんじゃないか」と語り、経済を文化の問題として理解すべきだと主張する。「人間は、いつも消費者であるだけ、または生産者であるだけ、または財政家であるだけ、というわけじゃない・・」という。これについては後ほど、「フランス革命の合い言葉」の欄で詳しく述べることにする。

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「量」と「質」

次にエンデが触れたことに、「客観的現実」と「主観的内面」という主題がある。彼がいうには、人間はもともと自らを含めたリアリティを世界と認識していたが、ジョルダーノ・ブルーノやガリレオ、それにニュートンらによって始まった、便宜上の方策としての世界認識の二元論化、つまり「客観」と「主観」との分断が科学では当たり前のことになってしまっている。しかし、「あたかも人間の意識などまったく存在しないかのように」という考え事態が自己矛盾的だという。なぜなら「・・のように考えてみよう」と発言する場合、考えるという行為はそれを実行する人がいてはじめて成立するのであり、人間の意識がもし存在しなかったならばそれは不可能だからである。エンデは「どんな認識だって、認識する意識というものを前提としている。言い換えれば主観が前提にある」といい、「主観」という概念をあたかも「錯覚」と同一視する現代の傾向を糾弾している。

さらに世界における「質」という問題を、エンデは取り上げてこういう。「16世紀になって、すべてを量でとらえようとする思想が登場する。数えられるもの、計測、計量できるものだけが、正しいとされ、最後には、質にかんする現実までもがすっかり否定されてしまった。何しろ質というものは、量的な思考ではとらえきれないからね。美というものは、確かに測ることはできないが、にもかかわらず存在はしている。しかし美の知覚は、知覚する人と切りはなすことができない。とすると外もなければ内もないということになる」これは個人を世界から切り離して考える傾向にある現代にはなかなか受け入れられない思想ではあるが、このような「質」の存在を認識しようとしなかったことに現代の問題があるように私は思う。

ここで語源学的なことに立ち入ると、ラテン語の「量」(quantitas, tatis)は「いくら」(英語でいうところのhow much, ラテン語ではquantus)という語に、「質」(qualitas,tatis)は「どういう種類の」(英語でいうところのwhat kind of, ラテン語ではqualis)という語にそれぞれ由来しているが、量が客観的なものさしやはかりなどで計測できるものであるのに対し、質に関してはそれを選ぶものの主観がどこかに入るという意識が読み取れる。それが「役に立つ」ものにしろ「百害あって一利なし」でしかないものにしろ、共通していえることはそれが本当にそうであるかは各人の意識が決定するということである。たとえば同じピカソの絵を見たとしても、それを「芸術」ととらえるか、それとも「変な落書き」ととらえるかはそれぞれの個人の意識が決定することであり、その決定がその人にとってのその絵の質というものを生み出すのである。そのような質を認識しない文明は、結局物質的な生産活動の領域にとどまらざるを得ず、各自が異なった自己を備えた人間の精神活動の欲求を満たすことはできない。

そのような性格を持つ「量」と「質」について、エンデは以下のように説明する。自然の中に「質」を認めようとするゲーテの自然科学が計量的思考に基ずいたニュートンのそれに敗れたのは、ニュートン式の科学を応用することでさまざまな科学技術が発達し、現在われわれが享受しているようなさまざまな工業製品が生産されるようになったからだが、現代の誤りは、そのような科学的(=論証的)思考で社会や都市計画や人間の行動様式、果てはみんなの幸福や世界平和まで作ることができると思いこんだことである。各個人それぞれの主観にもとずいた「理想の社会」や「人間のあるべき行動様式」、それに「幸福」はすべて「質」に属することであり、量的思考ですべてを統括しようとする自然科学的方法論は通用しない。社会や都市計画のあり方についてはその社会や都市に属する人間が考えることであり、何が幸福かなどということはそれぞれの個人に属する領域であり、どちらも「科学的」方法で「普遍的」な規則を追求してはならない。そんなことをしてしまったら、「普遍的」に当てはまらない幸福や行動様式、さらには社会や都市のありかたを求める人間はマージナルな領域に追いやられてしまうからである。エンデ自身もそれら量的思考が実現したテクノロジーを否定するつもりはないが、そういった量的思考をどのように超越するかを問題としている。このあたりのことについては、「アインシュタイン・ロマン6」のほうで詳しく取り上げられているので、そこを参照してもらいたい。

そのような話がされる中、エンデは「モモ」で産業社会の諸問題の解決をしようなどとは思っていないことを語る。彼が「モモ」でしようと思っていたことは、単に昔の童話作家のように、自分が生きている社会の姿を内面的な絵図に移しかえることでしかない。この「内面的な絵図に移しかえる」という点は「エンデと語る」で再び詳しく取り上げるが、彼は反人間的なシステムを描きたかったのであり、西部劇のように悪役と正義漢との1対1の対決にだけはしたくなかったのである。そのようなシステムの中での物語である「モモ」ほど一見非政治的な「童話」もなかったであろうが、ミュンヘンで多くの若者が「モモ」を持って行ったデモ行進に象徴される、深層意識の変革に一役買ったのは確かである。

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フランス革命の合い言葉

ここでエンデは、フランス革命の三つの理想、自由・平等・友愛に触れ、理想社会を構築したいと思う全ての人間のモットーとさえなったこのスローガンについて、「これまでみんなは、いつも、この3つをひとつの鍋にぶちこもうとしてきた。統一国家をつくって、そこで3つの理想を可能なかぎり実現しようと考えていたわけだ。そのさい、まったく気づかれなかったこと、あるいは、気づこうとしなかったことがある。それはね、国の使命は、理想を3つとも実現することじゃなくて、ひとつだけ実現すればいいってことなんだ」と述べ、それを「法のまえでの平等」であると定義する。残りの自由と友愛については、他の生の領域に属するものであり、それには国はタッチすべきではないのだ。「自由な精神」とは各個人の才能や自分独自の生き方を探ることを指し、それに関しては「どんな一般化もまちがっている」、つまり「「精神」は各人各様の能力におうじて、それぞれ独自のかたちに形成されなければならない」としており、残った「友愛」については、本人自身「現代においては、なんとも素朴、いやそれどころか滑稽にすらきこえるかもしれないのは承知で」と前置きしてから、「友愛は近代「経済」に内在している掟である」といっている。つまり、「「経済」にたいして、例の「需要と供給の自由なゲーム」を適用させることはできない。そうなると「万人の万人にたいする戦い」となり、経済的に最も弱いものがいつも割を食うことになるからだ」と話している。スイスでの経営者の会議で彼が話していた「ユートピア」は、こういった友愛主義的経済体制の中でのみ存在できるものであり、一般の経営者の理解できるようなものではなかったのである。しかし、この「友愛主義的」という言葉から共産主義を思い浮かべてはならない。エンデにとっての共産主義は国が経済に全面的に介入した形であり、これがわれわれ一般市民の需要を満たせないものであることは明らかである。そこでエンデが提案する経済体制は、国家や資本家から独立した消費者共同体であり、そこで生産者と消費者が直接向かい合うことで、生産者を搾取することなく消費者の需要を満たす経済を満たそうとするものである。

以上のように語った後、エンデは「文部大臣」という役職自体を「自己矛盾的」と定義し、「文化が全体であり、政治がその一部分であるときには、もはや文部省のような組織は存在できなくなる」という。政治と経済と精神活動という人間の生活の三つの部分が上記のような関係を持つならば、それらすべては「文化」という名のもとに統合され、経済に支配された政治の下位区分として存在し、経済に貢献する目的でのみ創造されるそれとは無縁な文化をわれわれは持つことができる。すなわち文化がわれわれの社会生活全てを決定する要素になり、それを実現する手段としてのみ政治や経済がその本分を果たし、自由な精神がその文化に栄養を与え続けるのである。

もちろんこんなことを言われて、政治の分野で長年頑張ってきたエプラーが黙っているはずがなく、「ところで、いろんな管轄が国の手からはなれている。たとえばヨーロッパ・レベルでは、ECやNATOの本部があるブリュッセルにわたったり、また州や市町村にうつされている」、そして「国の使命が平等を実現することだとすれば、教育を受ける機会の平等にも配慮しなければならない」と反論する。しかし前者に関してはエプラーがエンデの真意を取り違えているのであり、この場合の「国」という単語はあくまでも行政機関を代表しているのに過ぎず、エンデの言葉を「国がすべきではないのなら国際機関や地方自治体がすればよい」という次元の話ではなく、「行政機関にそんなことを頼るのではなく、市民自らの手で成し遂げるべきだ」と解釈すべきなのである。後者に関しては一見正論のように思えるが、教育こそが一般市民の自由な精神を形成する上で大きな役割を果たす以上、教育はむしろ「精神」に属する領域であり、義務教育の名のもとに同一の精神形成を行うという現代の教育システムそのものが言語道断のものであるのだ。エンデは「教育の機会均等は、市民じしんの手で生みだせるんじゃないか。それはまさしく社会の意識の問題だ」と答える。これは、もし市民が教育の機会平等を願っているのならば政府などに頼らず自分たちの自主的な活動でそれを実現すべきだ、ということで、今までの「商業主義ベースに乗らないような事業は全て国に任せよう」という安易な態度に釘を刺す。エプラーは「国がこの領域からすっかり手をひくとすると、その瞬間、安い学校と高い学校、・・ができるだろう。そうなればじっさい平等の要請に矛盾するわけだ」と指摘するが、エンデはそれに対し「社会的な「経済」というのは、競争と搾取ではなく共同の労働にもとづく「経済」のことだけど、そういう「経済」を想像するなら、機会はみんなにとってほとんど平等になるじゃないか」という。ここからさらに長い間エプラーとエンデとの間でかなりの対立がみられることになるが、その全ては資本主義経済とそれがもたらす社会的不平等を是正するための社会主義的公共部門経済との混合経済に立脚するエプラーと、資本主義そのものを捨て去って全く新しい経済体制への移行を主張するエンデとの違いと読むことができる。日ごろはそれほど激しい語彙を使わないエンデが、資本主義に対しては「ガン腫瘍」呼ばわりしているが、それだけ彼が資本主義を「諸悪の根源」とみていることが容易に理解できよう。

エンデとエプラーの経済に対する認識の違いは、以下の発言にはっきりと現れている。現在の国家の役割をまるっきり否定されて憤慨しているエプラーが「いったいだれが学校にお金をだすんだい?」とエンデにきくが、ここで彼は逆に「じゃ、きくけど、今日、学校にお金をだしているのはだれなんだい?」と聞き返し、「国民だよ。国はぜんぜんお金をだしていない。国は国民の払った税金を配分しているだけだよ」と言い放つ。その意味でいうならば、学校教育に限らず国立病院や市立図書館、その他行政が費用を負担する形で運営されている機構はすべてその利用者と納税者である国民が運営していることになり、その運営費用を賄うために国が税金を徴収しているのだが、そういう回りくどいやり方をするぐらいならそれらの行政サービスを必要と思う人たちがそれを運営すべきだ、ということなのである。だが、現在の資本主義の立場から経済をとらえているエプラーは「回り道がなくなれば、学校は、経済界の寄付によって、運営されるだろう。寄付は税金で控除の対象だからね。すると、経済が文化に及ぼす影響は、今日の比じゃなく、圧倒的になるんじゃないだろうか」といってこの分野での行政の介入を正当化するが、エンデは「資本主義「経済」を前提にしたままだと、当然そうなるに違いない。「経済」の基盤を別な場所にうつしもしないで、本当に「精神」を解放することはできない」と反論する。エンデの発言を聞いたエプラーの想像する学校は大企業がその運営費を負担するもので、そこではあくまでも現在の経済活動に役に立つこと、たとえば四則計算や英語、それに物理などの教科は重点的に教えられるものの、文学や音楽など直接は経済と結びつかない分野はなおざりにされるのであろうが、エンデ自身が描いている学校はあくまでも親など市民の寄付で運営されているもので、そこでは当然上記のような経済活動に必要な知識を扱う教科はもちろん、その他市民らしい生活を行うのに必要な教育を受けることができる。市民が理想の教育を目指すのなら、それに必要な経費を自分たちで払うのはむしろ当然のことである、と彼自身は考えているのである。それを政府などに頼るという姿勢こそ自主性のない他力本願的なものなのである。ハンネ・テヒルが自分の子供たちを通わせていたヴァルドルフ学校の例を持ち出して、増築資金が必要となった際にどのようにしてその費用を賄うか親が決めた例を挙げており、話は「市民にもっと多くを要求しなければならない」(エプラー)という方向に向かっていくわけだが、この姿勢は教育などの問題を全て政府に任せっきりにするのではなく、市民自らがこの問題の解決に積極的に参加するを望んでいるものである。

エンデはここで、市民のそれと乖離してしまった行政の文化のために生まれた「奇妙な無力感」を例に出して、こういう。「作家や画家や音楽家が、よくこんなことをいう。「ぼくたちは、じっさいのところ、宮廷道化師とか社会の道化にすぎない。やりたいことは、やれる。道化師としての自由があるのは、どのみちぼくたちが無害だからだ。社会の現実は、ぼくたちがどんなに跳びはねようとも、ビクともしない。叫び、泣き、笑い、逆立ちをすることはできるが、それはまったくどうでもいいことなんだ。」・・それは、国とか共同体の「精神」つまり文化の栄養となるものが、奇妙にも麻痺しているということだ」そしてそれらの芸術がもし必要であるならば、政府からの補助金に頼ることなく市民自らの手で支えてゆく必要があり、補助金がなくては成立しないような文化は必要ないとさえいう。もし市民が豪勢なオペラを観劇したいと望むならば、それなりの費用を見たいと思う人たちが分担して負担する必要があり、それがあってこそそのオペラは成り立つのであり、もしそれだけの費用が賄えないのならばそのような芸術は「自由な精神」には必要ないものとして切り捨てられるべきものだ、というのがエンデの主張である。

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現代の価値とは?

昼食後、エンデはエプラーの本にある「価値にかんして保守的」と「構造にかんして保守的」という、相対立する二つの概念を引き合いに出し、前者は「価値をまもるために、構造をかえようとするが」、後者は「じっさいは価値をまさに破壊しているということだ」という。後者に関しては、エンデ自身はそうだとは言明していないが、おそらく共産主義国家の社会体制を念頭に置いての発言であるものと思われる。「モモ」の中で共産主義を茶化した一節(マルクセンティウス・コンムニス)があるのは「モモ」の欄で既に述べたが、スターリンの「粛清」や毛沢東の「文化大革命」、さらにはポル・ポトの大量虐殺などを見れば分かるように、大体の共産主義国では共産主義という構造そのものを維持することが最大の懸案になってしまい、そのためになら反対者を抹殺することをも厭わない傾向が出てきてしまう。だがこれは共産主義国だけに特有の問題ではなく、現在の国債世界を震撼させているイスラム原理主義も「イスラム」という構造を守るために、それに反する生における価値(特に欧米的価値)を徹底的に弾圧する傾向にあるように私には思える。まあ、それはともかく、エンデはこの概念を近代の芸術に応用し、近代では逆に昔の価値に回帰することの方がそれまでの価値を否定することよりもむしろ価値のあることではないかと考えている。

芸術論からエンデは話を政治の領域へと戻し、「以前は、ともかくマルクス主義をひっぱりだせば、なんでも進歩的とみなされた。あるいは、自分では進歩的であると考えたものだ。・・しかし現在は大きな危機をむかえている。どうしたらマルクスを使えるのか、いったいマルクス主義は使い物になるのか、さっぱり見当がつかない」という。60年代、ベトナム戦争が泥沼化するにつれ反戦運動が広がりを見せ、フランスではサルトルが社会主義と実存主義を結び付けようとし、多くの国で学生運動が盛んだった時代は共産主義とまで行かなくとも社会主義的な思想が進歩的だともてはやされた時代はもはや過ぎ去り、この会談が行われた82年当時はイラ・イラ戦争やソ連のアフガン介入などでそれらのマルクス主義から派生した運動が輝きを既に失っており、この一文を私が編纂している98年は冷戦後の米国主導の世界資本主義が傾きかけている時代であるが、16年経過した今でも全く変わっていない現実として、「マルクス主義や資本主義に代わる新たな世界観の構築がなされていない」というものがあるものと私は認識している。もちろんエンデもマルクス主義の功績を完全否定しているわけではなく、「たとえばある特定の社会的な問題にたいして意識を鋭くさせてきた」と発言してはいるが、エンデはマルクス主義をこのように評している。長い台詞なので、次の段落にそれを引用することにしたい。

「しかしマルクス主義にかかわる以上、ぼくらの前提、つまりマテリアリズム(唯物論:筆者注)の問題を避けるわけにはいかないね。というのも、マテリアリズムは前世紀にはある意味では進歩的であり、意識が通過するステーションとしてもおそらく必要なものだったと思うが、現代においては、ぼくたちが直面している問題を解決するために、まったくなんの手がかりすらあたえてくれないと思うからだ。マテリアリズムを首尾一貫させてつきつめていけば、手もとには、なんとも空虚な人間観しかのこらない。そうなると、もっとよい社会、もっと人間らしい生活がどうあるべきかと心に描いてみることなど、むなしい努力にすぎなくなる。純粋なマテリアリズムの立場からでは、人間の尊厳、自由、創造性などを正当化することはできない。これらの価値は、まったく別の世界観、つまりヒューマニズムとか、キリスト教とか、古典古代から生まれたものなんだ。家具つき住居とおなじように、これらは、あっさり承認され継承されてきたわけで、価値の基礎が問題になることはなかった。マルクス主義はこれらの価値を受けつぎながら、その基礎は否定している。マテリアリズムからではそれを説明することができないからなんだ」

因果論で全てを説明しようとする数学や自然科学からマテリアリズムは誕生したわけだが、マルクス主義がこれを人間の生の全分野に応用しようとしたためにさまざまな矛盾が発生した、とエンデはいう。人間らしい生活、たとえばおいしい食材をふんだんに使った豪勢なご馳走を満喫することや、オーケストラのコンサートに行くことなどは、マテリアリズムの観点からすれば、「何の役にも立たないこと」になる(「モモ」の床屋のフージー氏に対して、灰色の紳士が巧みな弁舌を使って彼の私的時間の価値を全て否定してしまった場面を思い出してほしい)が、その論法で行けば、全ての経済活動は物質的な需要さえ満たせばいいことになり、友人間の個人的な文通も「経済生産には何の役にも立たないから、紙の無駄」になってしまうし、冠婚葬祭用の衣装も「無用の長物」として切り捨てられることになり、最終的には人間を、食糧を生産して消費するだけの経済活動のためのロボットにしてしまうことになる。まさかそんな無機質な生活を望む人間はいないだろうが、そもそもそういったマテリアリズム以外の思想を基盤として成立している文化に対し、因果論的マテリアリズムを「客観的な社会科学」の名の下に押し付けること自体がまちがっているといえよう。

このようなマテリアリズムをどのようにして克服するかについて話が進んだ後で、エンデは「いままた新しい「心的能力」というものがひろがりつつあるんじゃないか」という。この心的能力を彼は「予言的本能」と呼んでいるが、これはもはや前例に頼ることでは現在の社会が抱えている複雑な問題を解決できなくなっている以上、いったん未来にその人の精神がワープして、そこでその問題の解決例をその目でしっかりととらえ、それを現代に持ち帰って現代の問題解決に応用する、という方法である。こんな書き方をすると、一般の方には「そんなオカルト的な発想は非現実的だ」と思えるかもしれないが、予知能力を持っていたとされるシュタイナーの著書に長年親しんできたエンデにとっては、それほど非現実的な発想ではないといえる。西洋世界にはこの他にも、その予知能力を利用して当時治療方法が知られていなかったペストの患者を多数癒したノストラダムスや旧約聖書に出てくるダニエルのような例があり、「予知する」という意味で英語の「Foresee」(語源的には「将来のことを見る」という意味)にあたる語彙が各国語に存在することからも分かるように、これはそれほど奇異な見方ではない。それはともかく、主知主義がヨーロッパをわずか30年の間に席巻していった歴史的事実をエンデは引き合いにだし、このようなかたちで人類が新たなものの見方を獲得できるものと信じている。

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謝礼に関する洞察2題

この日の会話で、エンデが挙げている昔の中国の医療制度は、現代の資本主義経済のもとで成り立っており、「最高の医療」の名のもとで高額な薬剤や医療器具の費用を負担しなければならない現代の技術一辺倒の医療に一石を投じるものになるかもしれない。彼によると、当時の中国では、たとえば約50家庭が集まって一人の医者を主治医として雇い、たとえ病人が出なくても毎月その医者にある程度の月謝を払う。だが誰かが病気になった時には、その病人の家庭だけではなく、その契約している50家庭全てが医者への月謝を払うのを中止し、医者は収入を得るためにはその病人を必死になって治療しなければならない(もちろんその経費は医者持ちである)。無論この制度をそのまま現代社会に応用できるとは私も思ってはいないが、ここで大事なのはいかにして医者を市民ひとりひとりが養ってゆくか、ということである。現在の医療制度では医者は「最高の医療を提供する」という大義名分のもと、患者に必要以上の経費を捻出することを強要しており、医療費や保険料の高騰を招いているが、医療の原則から照らし合わせてみれば、むしろこのような他の視点から医療について考察してみることも大切ではないかと思う。

もうひとつ興味深い点として、機械の労働に関するエンデの考察が挙げられる。彼は、「そもそもお金はなににたいして支払われるのか」といい、「靴屋が靴を一足ずつ手で仕上げていた時代では、一足あたり平均して、つぎにもう一足つくるまで家族が暮らしていけるだけの収入が、あったものだ。それが、値段を決める、おおよその尺度だった」(もちろん靴を作るための材料費もそれにプラスされるのだろうが)と、中世経済の実態を振り返った後で、機械が人間に代わって多くの労働を引き受けている現代のことを話題にし、「現代の労働者は、自分の手で靴を作ったかのような顔をして、60時間分の支払いをうけるべきなのか。それとも、じっさいに労働した6時間分だけ支払われるべきなのか」(エンデはここで、仮に1足つくるのに60時間かかるものとして上記のように論法を展開している)と問題提起し、「現実には労働者は6時間分の賃金をもらっている。機械労働による利益は、出資者の手にかえっていく。・・機械が仕事しているとき、いったい厳密にいうと何が仕事をしているのか?・・全人類が蓄積してきたテクノロジーに関する知恵だ」と現状を分析している(現在の経済競争のため実際にはそのようなことは起こらないだろうが)。そして、このような人類の共有財産であるべきものに対してお金を払わなければならない状況をおかしいという。知的所有権を重要視する人はこのような意見を聞くと、「テクノロジーの技術を発明した人に対して、その功績に報いるべく、それなりの報酬を払わなければならない」といって憤慨されることだろうが、おそらくエンデにしてみればこのような見方こそ「資本主義的」、つまり金にならないことはやらないという無責任主義的な態度だということになるものと思うが、複雑になるのでこの問題に関しては、とりあえずこれ以上深入りしないことにする。

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演劇や文学について

次の日は、ハンネ・テヒルの「コンタクトシアター」がテーマとなる。テヒルはそこである政治問題に関し、両方の意見を脚本にして上映することでその問題に対しリアリティをもって接することができるのではないかと考えるが、エンデにとってそれは芸術ではなく、むしろ演劇とは別のカテゴリーに分類されるべきものなのである。確かに政治問題をそのようにして理解すると、その問題の本質がわかりやすくなるかもしれないが、それはエンデの目指す、「美」を内面に秘めた芸術とは別のものである。エンデは「きのうぼくは社会的な「文化」ということをいったけど、それは、すべての人がありとあらゆる芸術形態のなかでそろってディレッタント(知ったかぶり:筆者注)ぶりを発揮する、なんていう意味ではけっしてない」とも発言し、自分が前日定義した「文化」がどのようなものか、再定義する。「文化」という言葉を聞くと、どうしても音楽や絵画、演劇などの芸術を思い浮かべがちだが、この場合エンデがいう「文化」は、むしろ「ドイツ文化」や「スペイン文化」、「日本文化」などといった意味のものであり、テヒルのいう「コンタクト・シアター」は、後者の一部、たとえば政治討論会やジャーナリズム活動などに属する文かとしてとらえるならエンデも納得したことであろうが、「シアター」ということばの語感があまりにも「芸術」をにおわせるものだったので、エンデはこのテヒルの試みに強く反論したのである。

エンデはさらに、演劇のあり方について一例を持ち出して話す。「たとえば、むかい側の歩道で女性が男に襲われ、助けをもとめて叫んでいる。それをきみが路上でみかけるとしよう。そのとききみは、望む望まないにかかわらず、ただちにある種の道徳的な決断をせまられているわけだ。走っていって彼女を助けることもできるだろう。なにも気がつかなかったようなふりをすることもできるだろう。また、逃げだすことだってできる。どういう態度をとるにせよ、きみは、なんらかの形で道徳的な決断をくだすことになるだろうね。ところが舞台で、オセロがデズデモナを絞殺する。それをみるとき、きみは、道徳的な決断をせまられる状況にはいない。きみにはそれが、想像上のできごと、いやそれどころか、たんに舞台での演技にすぎないことがわかっている。にもかかわらず、このできごとにたいして無関心ではいられない。なにかを体験するわけだ」つまり、「劇場で観客は、芝居が上映されているあいだ、神の立場にたつ」わけであり、それが人間に対し「心をすくう効果、つまり治癒の効果がある」のである。だが、これはあくまでもその状況(たとえばオセロの絞殺)に直接関わっていない人間として状況を見るためのものであり、そのような状況が実際に起きた場合、それに対し静観することを勧めているわけではない。「このできごとにたいして無関心ではいられない」自分というものが観劇中に出現し、それが自分自身を無意識のうちに変革するわけで、それが必要不可欠のものだとエンデはいう。ただ、「経験の成立するレベルを混同すると、経験は、人生に危険なもの、人生を破壊するものになる」といい、燃え上がるローマを歌でたたえたネロ帝の例を出す。芸術の世界では善と悪は共存するが、だからといってそれを実世界に持ち込んではならない。エンデはさらに架空の世界と実際の世界とを区別することの重要性について延々と述べるが、それについては詳述しないことにする。

この日の午後は、女性解放(実際のところは男性の解放にもつながるのではあるが)についての話になり、エンデはここで政治演説のスタイルについて「公の場での政治演説のスタイルは、今日ではすっかり固定している。うなり、ほえ、演台をたたく。それは男性の場合でも、かならずしも愉快な図とはいえないが、・・女性が同じスタイルで政治演説をすれば、それは不愉快どころではない。ぼくには苦痛だよ」と述べるが、この発言には、男性と女性の問題以上のものが含まれているように思う。「うなり、ほえ、演台をたたく」ような政治家といえば、ヒットラーやフィデル・カストロが真っ先に思い出されるが、彼らのような「力任せの」演説は、それがたとえ聴衆をうっとりさせるものだったとしても、それは演説そのものの内容でというよりも、むしろその人間が醸し出すカリスマ的魅力に負うところが大きいが、それはある意味で「力任せに」築かれてきた現代文明を象徴しているとも読み取れる。エンデが女性に対して特にそのような演説を望まないのは、「男社会である」現代文明に女性が「男性化して」加わることで女性としての特性を失うことを恐れていたからではないだろうか。

それからエンデは自分自身が「非政治的な作家だ」と非難されてきたことに言及し、1981年10月10日のベルリンの平和大行進がなぜ行われたのか(その参加者の多くは、「モモ」の本を手にしていた)かについて、彼なりの見解を示す。「「政治的な作家、政治的な芸術家とは、その作品の中に政治的なものが登場する作家であり芸術家である」というふうに考えられてきあ。こういう単純さにたいして、ぼくはいつも逆らってきたんだけどね。それがいかに単純な見方か、を理解するためには、たとえば、「ヴァン・ゴッホの「ひまわり」の絵はどんな意義をもっているか?」と自問すればいい。ゴッホのそれは、単純な芸術観によれば「社会的に不適切な」絵ということになるだろう。ひまわり以外には、じっさい、絵にはなにも描かれていない。しかしヨーロッパでは、意識変革の力としては、ゴッホの「ひまわり」のほうが、みんなごもって歩いたベトナム反戦プラカードぜんぶよりも、強力だったんじゃないだろうか。・・ぼくの話した「社会の三層化」をぼくたちが望むなら、こんどはまた、これまでにはなかった別の意識のかたちやなかみが前提となる。その前提は、ぼくの考えでは、「文化」から生まれてくるはずのインパルスだ。そしてその「文化」をかたちづくるのが、その時代の作家、芸術家、音楽家、画家など、創造的な仕事をしている人たちすべてだ。もしも、そこで創造された人間像が、みんなの無意識の意思にピタッとくれば、それがライフスタイルとなる。そしてそれは、とつぜん民衆すべてのあいだにまきおこる運動となって、新しい政治形態を生みだす。例としては、ルソーとフランス革命を考えればいい・・」政治に直接関わること、たとえば経済活動や教育問題などのみについて書くことが作家の仕事ではない。たとえば「モモ」を読んだ人間ならば自分がどのように時間を過ごすかについて今まで以上に注意深く考えるようになるわけだが、それは当然のことながら仕事一辺倒の生活以外の生活、余裕をもった生活を求めることにつながり、ひいては社会全体を大きく変革することにつながるのである。このあとで、「「ミサのあいだ、化体はたんなる象徴的な行為にすぎないのか? それとも、パンと葡萄酒がキリストの肉と血にかわっているのか?」この問題ほど、非政治的な問題もないだろう。ところがヨーロッパの人たちはこの問題をめぐって三十年戦争でおたがいにズタズタに引き裂きあった。この非政治的な問題が、なんともはげしく政治的に作用したわけだ。文化の構成要素で、最終的に政治につながっていかないものなんて、一般には存在しない」という言葉をエンデは残すが、「政治的かどうか」という命題は思いのほか広い範囲を包括することが上記の事例でわかることだろう。そして最後に、「政治という領野は戦場なんだ。そこでは、理念が、新しい運動が、新しいライフスタイルが、生まれてこようとしていてね、それらが姿を現して、国をつくる原動力となるんだ」と、このテーマに関しての論議を締める。

この本にはその他、エプラーやテヒルの発言の中にもかなり目新しいものがありますが、「哲学者としてのミヒャエル・エンデ」という表題に合わないため割愛しました。現在では岩波書店の「エンデ全集」第15巻という形でしか手に入らず、かなり高価な代物になってしまいましたが、エンデに興味・関心がある方ならばぜひご一読されることをお勧めします。

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