鳥人幸吉伝
・・・空にあこがれ鳥になることに一生をかけた男の物語・・・

第6話  次なる挑戦へ

 八浜での初飛行で左足を痛めた幸吉は、弟・弥作の助けでようやく岡山へ戻ってきた。幸吉の痛ましい姿を見た叔父の万兵衛は何事が起きたのかと案じ、幸吉に何度も声をかけたがが幸吉は口を閉ざしたままで何も言わなかった。幸吉は、店の二階に担いで運ばれ、自分の部屋へ寝かされた。万兵衛は弥作を呼んで、事の顛末を聞き腰を抜かして驚いた。万兵衛は、幸吉へ「二度と空を飛ぼうなどという馬鹿な事をせんでくれ。お前はこの岡山の表具師を代表する腕をもっとるんじゃけ−な。それをよ−分かって仕事に専念せ−や。」と言い聞かせた。幸吉はその間、黙って聞いており説教が終わると頭をちょこんと下げただけであった。幸吉はこの程度のことで空を飛ぶという夢を諦める者ではない。

 幸吉が空を飛ぼうとして怪我をしたことは、店の職人達の口から巷に流れていった。「幸吉が天狗になりそこねた」とか「幸吉は狂って鳥のまねをした」とか巷には噂が流れていった。その間、幸吉は足の怪我が治るまで、不自由な足をかばいながら店の中で表具貼りをしていたが、頭の中は、失敗した要因をひたすら整理しようという事で一杯だった。

 冷静に幸吉は考えていた。八浜で飛ぼうとした時、羽をはばたかせるだけの時間がなかったことだけで飛べなかったのか。いや、羽を動かそうとしたけれども、羽はびくともせず動かなかったのではないのか。腕が根元からちぎれる程の力をだしても左右の羽は動かなかったのではないか。それ以前に途中で折れてしまったのはなぜなのか。腕を動かして羽ばたくための力は人には無いのではないか。すると、人は空を飛ぶことはできないのか・・・。いや、八浜からの帰りの船で見た鳶は、羽ばたいてはいない。羽ばたかなくとも、鳶のように滑空すれば飛べるはずだ。鳶のように翼を固定していても飛べるはずだ。でも、羽ばたかなくてもどうして飛べるのか・・・。鳶は翼を動かさずに同一の姿勢で大空に円を描いて飛んでいる。そして、空高く舞い上がることもできる。どうして、羽ばたくことなく飛ぶ事ができるのか、幸吉はそのからくりを一時程、考えあぐねていた。

 残暑の厳しい日の夕刻であった。岡山の夏の夕刻は『瀬戸の夕なぎ』といって、風がぴったと止まり蒸し暑い時間がある。幸吉は、怪我をした左足を伸ばし、右足はあぐらをかいた姿勢で額に汗を溜めながら、表装した紙と軸木をつなぐ裏紙の両端に軸たすきをかけていた。一生懸命、幸吉は掛軸の表装をしている見えるが、幸吉の頭の中は、鳶がずっと飛び回っていた。六ツ半(午後7時)を過ぎた頃、やや風が出てきて幸吉の目の前を紙の小片がす−っと浮いたように流されていった。幸吉は、思わず「あっ!」と声を上げた。風だ、風が鳶の翼を持ち上げているのだ。幼い頃、傘職人の手伝いをしていた頃、干してある傘が風に飛ばされ、それを追いかけていたことを思い出した。風に向かうと持ち上げられ、風に追われると押しつけられる。そうか、八浜での初飛行では、遠くに飛ぼうとして追い風で飛んだのだった。そうか、風上に向かうことで飛ぶことができるのだ。幸吉の目の前の道がふいに大きく広がった。 

 ようやく、杖をつきながらでも歩けるようになった幸吉は、万兵衛の許可を得て近所の長屋へ一人で住むことにした。弟の弥平は自分も一緒に長屋に移るといったが、幸吉はそれを断わり、万兵衛は幸吉が一生懸命仕事をして所帯を持つことを思い描き、通い職人になること許可した。幸吉はこれで研究に専念することができると喜び、まず山里から町へ来る鳥売りに頼み、鳶を内緒で手に入れることにした。鳩と同様に、鳶の体型と翼の仕組みを調べようというのであった。

 そして、鳶の調査が完了するや否や、幸吉は鳶の翼をまねて竹ひごと紙とで模型を作ったのであった。幸吉は仕事が終わるのを待ちかねて、鳶の模型の製作に励んでいた。鳶の模型は、何度か作って改良を重ねていった。翼は当初は水平に固定していたが、何度かの改良で左右の翼をやや上方向へ向けておくと安定した滑空ができることを知った(上反角効果)。また、重心の位置が飛行時間と距離の向上に影響することも分かった。そして、羽ばたくことができないが、飛行には最初、ある程度の速度が必要なことも分かった。そして、実際に飛ぶときは、高い所から飛び降りれば良いだろうと、幸吉は考えた。

 こうして、鳶の模型を作り、それにより飛ぶことについての手応えを得た幸吉は、次に模型ではなく実際に自分が飛ぶための翼の設計に取りかかっていった。約5間4寸(約9m)×6尺1寸(約2m)のとてつもなく大きい翼であった。そのために、持ち運びを考えて翼は左右一ヶ所で二つに分けられる様に工夫を凝らした。しかも、自分の体重を支えるために翼には強度が必要なことも分かったので翼の接合部分には特に時間をかけて設計していった。また、方向を変えるために足を使って尾翼を左右にねじることができる様にもした。また幾度と無く模型を使って実験しながら設計の細部を決定していった。図面が完成したのは、冬から春になろうとしていた頃だった。 次に、翼の製作に取りかかっていった。しかし、これはとても時間がかかった。翼の骨となる竹の選定からはじまり竹の加工、紙の選定、糊作り等、幸吉がやらなければならない工程は数多くあった。昼は表具屋の仕事をしながら、幸吉は寝る暇を惜しんで、翼の製作に没頭していった。そして、夏の盛りを迎えてようやく翼は完成した。 

完成した翼を前にした幸吉は一日でも一刻でも早くそれを付けて飛んでみたい衝動を押さえていた。翼幅9mにも及ぶからくりは飛行場所へ運ぶのも大変であるし、飛行に適する風が得られ、もし飛行に失敗しても怪我をしない様な場所の選定をする必要があった。幸吉はこれらの条件を満たす場所として岡山城と後楽園の間を流れる旭川に架かる京橋を飛行場所に決めた。そして、翼が完全に乾くまで待って、しかも山からの風が吹く夜半に決行することにした。決行は明後日である。