第4話 飛翔への目覚め
表具師は屏風や掛け軸を扱うことがその仕事ではあるが、武家の屋敷へ出張し襖や壁紙を貼る仕事もことのほか多くあった。そして、表具師の仕事の中で難しいといわれているのは、裂地の配色選びだといわれている。壁の横幅、高さから必要な裂地の紙の枚数等の見積り・算出することは、表具師にとって必要な算数である。従って、幸吉は職人でありながら簡単な算数の知識(乗除算)を身に付けていたと思われる。これまた、幸吉にとって今後の飛翔にとって重要な知識となるのである。
その頃、幸吉は表具師を目指して十数年、二十五歳の青年となっていた。腕の良い表具師として評判になった幸吉は、朝から夜まで一心に仕事に打ち込んでいた。そして仕事に疲れた幸吉の唯一の気晴らしは、店から程近い蓮昌寺へ出かけることであった。蓮昌寺の先に、二十日堀という幅3間程度の外堀があった。この二十日堀は小早川秀秋により二十日間で完成させたといわれるものであり、その後、柳川と名称を変え上流の旭川から引き込まれた水が今でも流れている。幸吉は蓮昌寺へ行く途中にこの川の流れを暫く眺め、そして蓮昌寺の境内で一時の静寂な時を過ごし、疲れた身と心を癒していたでのであろう。当時、蓮昌寺は、岡山三大名刹の一つといわれ、四面に堀割があり、七堂伽藍を完備し、18間4面の大本堂を持つ日蓮宗の巨大な寺院であった。そして、巨大な本堂の前庭には数多くの鳩が群れをなしていた。
幸吉は、いつも本堂の前の石段に腰をかけ、幼い頃の思い出や遠く離れて住む母や姉の事、自分の将来の事などを思いながら佇んでいた。近くには幼い子供を連れた母親が豆を鳩に与えていた。鳩は餌にありつこうと数十羽が群がっている。すると余りにも鳩が集まってきたので、子供が恐れをなして大声で泣き出した。途端に、泣き声に驚いた鳩が一斉に飛び立った。
なにげなくこの光景を見ていた幸吉は、全身に衝撃が走るのを感じた。鳩の翼、この翼を付けることで人も飛べるのではないかと思いたったのである。鳥のように翼をつけ大空を飛ぶことができれば、別れた母や姉に再会できる。母や姉、幼い弟に会いたいという少年期の幸吉の思いが心の奥深く潜んでいたのが、今再び蘇ったのである。人も翼をつけ、鳩のように羽ばたくことで自由に空を飛べる。大空を飛ぶ事、それは幸吉の幼い頃からの願いであったことに気づいたのである。そして、それは幸吉のこれからの人生の目標となるのである。幸吉の頭の中は”鳥のように飛ぶこと”、それが全てであった。