第1話 プロロ−グ
江戸時代後期の漢詩人の菅茶山(1748年−1827年)が書き残した『筆のすさび』という書物の中に、『機巧(きこう)』という次に紹介する話がある。
機巧
備前岡山表具師幸吉といふもの、一鳩をとらへてその身の軽重 羽翼の長短を計り、我身の重さをかけ比べて 自ら 羽翼を製し、機(からくり)を設けて 胸の前にて操りうちて飛行す。地より直ぐに揚がることあたわず、上よりはうちていづ。ある夜 郊外をかけり廻りて、一所 野宴するを下し視て、もし知れる人にやと近寄りて見んとするに、地に近づけば風力弱くなりて思はず落ちたれば、その男女驚き叫びて逃れ走りける。後には酒肴さはに残りたるを、幸吉あくまで飲み食いして又飛び去らんとするに、地よりはたち揚がりがたき故 羽翼を納めて歩して帰りける。後に此事あらはれ
町奉行の庁に呼び出され、人のせぬ事をするはなぐさみといへども一つの罪なりとて、両翼をとりあげその住る巷(まち)を追放せられて、他の巷にうつしかえられる。一時の笑いぐさのみなりしかど、珍らしき事なれば記す。
寛政の前のことなり。
この表具屋幸吉こそ『鳥人幸吉』であり、伝説ではなく実在した人物なのである。
鳥人幸吉が空を飛んだのは、今から約210年前の1785年であり、オット−・リリエンタ−ルが空を飛んだとされる1891年より100年も以前の話である。また、ライト兄弟が制御できる動力飛行をした1903年より約120年も前の話である。この事は、日本というよりも世界の航空界における偉業として評価されるべき事である。この鳥人幸吉に関しては、戦前に尋常小学校での教育を受けられた方は多少なりとも聞かれたこともあろう。しかし、戦後の教育においては全くというほど触れていなく、その存在や名前すら知らないか伝説上の存在としてしか受けとめていない方がほぼ全てといっても過言ではないであろう。しかし、実在した人物なのである。
岡山県玉野市で鳥人幸吉について長年研究されておられる鳥人幸吉研究会の古泉会長よりいただいた様々な貴重な資料を基として、様々な書物を読みあさった結果、鳥人幸吉の生涯を私なりに理解し、本書で表現させていただこうと考えている。そして、夜な夜な紙ひこうきを製作し、より飛ばしたいと研究されている紙ひこうき愛好家や、空に魅せられ人力飛行に挑戦されている方々、また人生の目標にチャレンジされている方の思いは、人生をかけて飛ぶことに挑戦しつづけた鳥人幸吉の思いと同じであると考えている。