恵比寿ガーデン・プレイス名物「バカラのシャンデリア」

      

現在では良く知られているバカラのシャンデリアの発祥は、ルイ15世の時代まで時間トラベルが必要です。
フランス東部ロレーヌ地方南部の小さな村であった「バカラ」にガラス工場が出来るに至っては、当時のフランスが度重なる戦争による経済的貧困が関係していた様です。
フランス東部ロレーヌ地方の領主てあった、モンモレンシー・ラバル司教は、国内の経済力の安定と失業者対策・経済復興を考えた末に、当時ガラス製品はボヘミア地方からの大量輸入に頼っている事に気が付き、何とか国内でのガラス製品の製作を懇願します。
その方法として、モンモレンシー・ラバル司教は国王ルイ15世に請願書を送ります。
その請願書に心打たれた国王がラバル司教にガラス工場の許可を与えます。
ラバル司教は自分が所有する
ロレーヌ地方南部の村「バカラ」の向かい側、ムルト川の右岸にカラス工場を設立したのが始まりと云われています。
偶然なのか、知っていたのかは定かではありませんが、バカラ村は深い森林と清らかな川を擁し、ガラス作りに必要な条件を十分満たした村だった事は確かなようです。
しかし、バカラのガラス工場で生産されるクリスタルガラス製品が注目を集めるのは、この地方独特の成分の違いにあります。

ガラス製品に詳しくないので、間違っている事があるかもしれませんが・・・・・・
一般のガラスとクリスタルガラスの違いは、酸化鉛の成分比が24%以上になると「クリスタル」と呼ばれる様になる様ですが、現在バカラで生産されているクリスタルガラスの酸化鉛の成分比は30%以上と云われており、あの独特の透明感と輝きを発生させている様だが、当然その他の成分比率は企業秘密と云う所でしょう。
しかし、バカラのガラス工場が順調に発展したわけではありません。
長い歴史の中には、経営不振・リストラ・倒産の歴史と優秀な職人の育成・保護を経て、現在の「バカラ社」があるわけです。

ところで、バカラのシャンデリアを世界的に有名にしたのは、1896年、ロシア皇帝・ニコライ二世により、サンクト・ペテルスブルク宮殿用に、当時世界最大級の燭台(Tsar) として、12基発注した事に由来していると云っても過言では無いだろう。
しかし、当時バカラからはロシアに10基を納めた所で、第1次世界大戦・ロシア革命等によって残りの2基は納入が出来ませんでした。
    
この、残った二基のシャンデリアは「パリ バカラ美術館」に展示されていました。
大きさは、高さ3.85m、最大径1.5mの見事な自立型・燭台形式の物です。

 
またTsarと同時に、皇后のアレクサンドラ・フョドロブナの部屋のために発注したと云われる燭台(Tsarine)のレプリカの大きさは、高さ2.15m、最大径0.85mの物です。
           
 そして、バカラ設立230周年記念して1994年製作された世界最大級のシャンデリアと云うと、此こそ最大級の名に相応しく、高さ約6m、幅3m、パーツ総数8,086ピース、ライト総数230燈と云う途轍もなく大型のシャンデリアです。
恵比寿ガーデンプレイスの中央広場に、ここ数年間年末の伝統行事に成った「クリスマス・イルミネーション」と共に飾られます。


   平成14年年末には、上記三種類のシャンデリアが勢揃いしました。
        この時は、Tsar2基、Tsarine2基、大型シャンデリア1基の
        5基が飾られて、大変豪華な催しとなりました。
        雰囲気は、「平成14年展示」で見る事が出来ます。 

  平成15年の展示は終了しました
     本年11月には、また「バカラ・シャンデリア」が飾られています。


    今年は、何基飾られるのでしょうか・・・・・ね!

 ガーデンプレイスのイルミネーションを、回想出来ます

      
   平成14年展示

     
  平成15年展示

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平成16年 1月26日 チョット改装 
平成15年12月 6日 チョット改装
平成15年12月 1日 新規掲載