現在の住所は、南麻布4-5-61 廣尾稲荷神社に関しては、2つの説がある様です。 1っ目は、元禄の頃の朝府夫(麻布)は江戸郊外です。 麻布には富士見台御殿と云われる将軍様の別荘があり、此を守るための魔除けとして作られた神社で鎮守の意味があると云う説です。 この関係から、富士見稲荷神社とか千歳寺神社等と呼ばれた事もあった様です。 |
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2っ目は、慶長年間に徳川2代目の将軍秀忠公が"鷹狩り"の時に地鎮の目的から神社を勧請したと云う説です。 此方の説では、俗称「ハギナメ稲荷神社」と呼ばれていた様です。 理由は、この頃の廣尾周辺は"萩"の名所で、可憐な萩が地面をナメル様に大きく育ち、咲き乱れていたと言う事から、上記の様な俗名で呼ばれていた様です。 |
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![]() 『江戸名所図会』には、上図の様に富士見稲荷と書かれています。 |
![]() 現在の広尾神社()前の道筋 左の図と見比べると大筋道路の状況は同じです。 |
![]() 広尾神社の鳥居 上の江戸名所図会と比較すると、広尾神社は直接道路に 面していたのではなく、佐藤鎌三郎・戸張鎌三郎の屋敷の 奥にあったとされています。 |
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![]() 稲荷神社には欠かせない狛犬 向かって右側 |
![]() 稲荷神社には欠かせない狛犬 向かって左側・・・・ついでに絵馬等も |
![]() 小さな社殿ですが正面から見た所です。 場所柄でしょうか・・・大きな樹木に囲まれる様に経っています。 |
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現在の廣尾稲荷神社は、もちろん修復された物ですが社殿は木造明神造り、拝殿に7枚つなぎ、天井板に描かれた竜は日本画の先駆者、高橋由一画伯の日本画最後の大作と云われています。 御神体は木造翁の立像、また石掘沿いに3基の庚申供養塔(区有形文化財)が奉られており、正面には「見ざる、聞かざる、言わざる」の3猿が刻まれています。 廣尾稲荷神社は、商売繁昌、五穀豊穣、火伏の神としての信仰も集めています。 |