日本最初の鉄道が新橋〜横浜間に開通したのが明治5年、以後鉄道は全国に急速に伸びて行きました。 当時の鉄道は政府による官営鉄道はもちろんですが、その多くは民間鉄道であった事は以外と知られていない事でしょう(鉄道マニアなら別ですが・・・・)。 現在の東北本線も日本鉄道株式会社という民間鉄道として設立しています。 東京と東北を結ぶ重要幹線でありながら、明治政府は西南戦争の影響で財政が困窮していたため日本鉄道株式会社に鉄道経営を任せたと云えます。 ただ線路敷設工事は政府工部省によって行われると云う変則的な事が行われていました。 日本鉄道株式会社も、明治39年(1906年)には他の大手鉄道会社と共に国有化されるますが、明治18年3月1日に日本鉄道会社の東北線の支線として赤羽・品川間が開通します。 その当時は中間には板橋・目白・新宿・渋谷・目黒の5駅だけが作られ恵比寿には駅がありませんでした。 「現在の埼京線の一部ですね」 明治20年(1887)、日本麦酒醸造株式会社が設立され「ゑびすビール」の商品名で販売されるに至り、”ゑびす”と云う名で呼ばれる様になります。 この当時のビールの出荷は、馬車が使用されていました。 大分遅れますが、明治34年4月に日本麦酒醸造株式会社の製品搬入・搬出用に側線が引かれ荷物駅としてのゑびす駅が設置されます。 しかし、此処でも荷物用の測線駅であり、一般客のための駅としての開始は明治39年10月30日まで待たなければなりません。 サッポロビール恵比寿工場の前身という事になりますね。 |
当時の事は、現在の恵比寿ガーデン・プレイスサッポロビール本社地下にある、麦酒記念館に貴重な写真と解説がありますから是非、見に来て下さい。 帰りには、麦酒記念館で美味しいビールが格安で試飲出来ます。 |
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