キマロキ百話より

地域を支えた鉄道
                                       渡部秀男さん記

私は昭和13年6月国鉄名寄機関区に就職、当時日給90銭で庫内手として、機関車の清掃、整備の作業に毎日真っ黒になって働きました。
昭和14年機関助手、昭和15年機関士ほ拝命しました。(中略)
キマロキの思いでの中から、一つ紹介しましょう。

年代は不明ですが、当時指導員として宗谷本線の不通区間の排雪列車に参加した事があります。
名寄を朝の八時に出発したのですが暴風雪で名寄〜音威子府間の降雪量が多く、途中で炭水車の水が足りなくなり、美深〜紋穂内間の鉄橋上に列車を止めて、ポンプで川から水を込み上げる作業をしました。
吹雪の中で手足は冷え、顔を真っ赤にしての補水は言葉では言えない物がありました。 どうにか音威子府に着いたのが真夜中の11時。
そこで、運転整備を終えて幌延に向かいました。 幌延に着いたのが翌日正午で、昼飯の味噌汁の味は忘れられません。

腹ごしらえを終え稚内に向かって作業を進めたのですが南稚内に近づくにつれて、浜から吹き付けた雪(砂が混じっている) が線路をスッポリ埋め尽くしていた。
その雪をロータリーで吹き飛ばすと
ロータリーの羽根から火が吹く様に火花を含んだ雪が飛散する光景は壮観でした。
一寸刻みで穴を掘る様な作業
(線路上を歩くとアスファルトの上を歩く様にパンパンてなっているのです)。

山の上から南稚内の街の灯が見えるのですが、なかなか前に進まず泣きたい心境でした。 南稚内に着いたのは午前1時30分。
三日間の連続作業は、ほとほと疲れて、入浴して食事を終えると”バッタンキュウ”でした。
その日は、丁度高等学校の入学式だったのでみんなに喜ばれた事は、大変良い思い出となりました。
長い乗務員生活では様々な喜怒哀楽がありましたが、今思えば長い人生の中で意義深い職業に従事出来た事を誇りに思っています。