| 石塚智世松さんの書記から 昭和23年、宗谷地方は暴風雪で宗谷本線抜海〜南稚内間が不通となったので、 名寄から急遽「キマロキ」の出動となりました。 名寄を午前6時に出発、一路北上を続けて幌延を過ぎると、段々吹雪が強くなり、 かぶと沼駅で整備と缶替等をして抜海駅に着いたのは午後の6時。 吹雪の状態は想像を絶するものがありました。 構内には機関車「8620」が3両位停車しており、保線係員も必死に除雪をしている のでしょうが、朝からの重労働で全く元気が無い様に見えました。 いよいよ、抜海駅を出発して除雪作業に入って間もなく「停止」の合図。 なかなか進行の合図が無いので「ロータリー」まで行って見ると、雪の量が多く押す 力に負けて羽根に雪をつまらせてしまったのです。 羽根に雪をつまらせると、セメントの様な堅さになります。 羽根の雪の除雪に手間取っている間に、機関車の蒸気を保のも困難となります。 日本海から吹き付ける、砂混じりの吹雪は凄まじいものがありました。 バックカーテンは「むしろ」ですから寒さが身に凍みます。 その内、抜海駅まで後退との事でしたが、時すでに遅く雪が固まり機関車の動輪 車軸に出来た隙間だけしか、前進も後進も出来ない「徒動」状態となっていました。 すでに日が落ちていましたし、照明器具が無い事から全然判断が付かずに時間が 過ぎて、機関車は消火・・・・・ 作業員は、一晩中「ロータリー車」のボイラー室で過ごしました。 夜が明けて見るとフレームと動輪に吹き付けた雪が氷となってビッシリ張り付いて ブレーキの役目をしていました。 再び始まった吹雪の中、夕方まで立ち往生して「8620」2台でラッセル車を先頭に 不通区間を突破しました。 結局、何のために行ったのか心は複雑なものがありました。 開通後に、機関車に押されて稚内機関区へ収容されて、次の日整備を受けて宗谷 本線の除雪作業に入り、幌内から天塩線(羽幌線)の不通区間の除雪。 途中、振老・北川口間で機関車の貯水欠乏のため幌延に退行。 鉄道業務上、この仕事は今までの内で一番大変だったと感じています。 |
思いもよらない事後 昭和31〜32年頃だったと思いますが、稚内機関区へ冬期要因として助務した時の 事です。 この時は「ロータリー」の中のりとして、天北線の除雪作業に入りました。 ロータリーは「キ613」「形式キ600」、名寄から稚内に配置換えになった車両で、 音威子府に到着したところ、豊富へ救援に行く様に指示があったので[何のためで すか?]と聞くと豊富炭坑鉄道が10日間も不通になったので、名寄よりキマロキが 出動(「キ623」「形式620」)したが、羽根がバラバラになったとの事で急遽の救援要 請でした。 行って見て驚いたのは、ロータリー車がスッポリ埋まる程、切割は雪で埋まり、 スコップも刺さらない程にの固さに羽根に雪が詰まっていました。 保線係の話では『ロータリーで雪を押した直後に稲妻が発し、大音響と共に、 ロータリー車の羽根を開閉する前翼のシリンダーが、雪と一緒に運転室のガラス 窓を突き破って入ってきた』との事でした。 雪の壁の固さと量を考えずに、無理押しした為だろうと思いました。 雪の壁の距離は7〜80m位でしたが、スコップで表面から少し掘ってはロータリー で削って、またスコップで掘って、ロータリーで削る作業を繰り返してやっとの事、 難関を突破。 機関車は1両を使用して少しづつ押しました。 あとの場所は大した事は無かったので、夕方には探鉱駅に到着。 『あの場所を、良く破ってきた!』と感謝されました。 |