このページでは、エンデにまつわる活動を行っている個人や団体のあゆみを、掲載許可の得られたものに添って蓄積、ご紹介いたします。
エンデが没してなお語り継がれる、エンデのいない物語。その作品の数々に呼ばれ集った私たちが、終わりなき終わりを紡いでゆく、ここはそんな憩いと語らいの場所です。
ひとりひとりの想いをのびのびと、あなたなりの表現で語りながら、どうぞくつろいでいってください。
こんにちは。劇団虹創旅団、作・演出家の田中円(たなかえん)と申します。
この度は、私が演劇演出(映画で言う所の監督)の仕事をしている関係から、エンデ館の森陽子さんにご招待いただいて、静岡芸術劇場で行われたSPAC秋のシーズン2013 『サーカス物語』 10月19日〜11月3日を見てきました。
僭越ながら、感想を書かせていただきたいと思います。
まず私とサーカス物語について簡単に話をさせていただければと思います。
私がサーカス物語を最初に読んだのは、中学生の頃で、今から15年以上前になります。
当時私は戯曲というものに読みなれることが出来ず、会話のみで進行されるその物語に慣れることが出来なかったのを覚えています。
ですから、おぼろげな記憶の中で、鏡の国のお姫様が恋をして、大蜘蛛の悪い奴が出てきて、程度の知識の中で、舞台を観劇させていただきました。
今回は逆にそれが、物語を新鮮に捉える事ができて、良かったかなと思います。
終盤で、大蜘蛛アングラマインと、未来の国の王子との間でこんなやりとりがあります。
“箱が二つある。第一の箱の鍵は、第二の箱の中に。第二の箱の鍵は、逆に第一の箱の中に入っております。さあどうすれば二つの箱が開けられますか。”
この問答とその答えに関するやりとりこそが、サーカス物語のクライマックスとなっています。
私も作家のはしくれとして、この問題一つを舵にして、どうやってエンデは話を収束させていくのだろう。それも、愛と自由と遊びの力、想像力の力で、と思ってはらはらしながら見ました。
そしてそれは私に深い感動を呼ぶものでした。私の中に眠る愛と自由と遊びの大切さを思い起こさせるものでした。
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サーカス物語の登場人物は、その誰もが自分たちの中に潜む悪や、善の一つの側面です。
役者たちがその登場人物になり、私達はその役者たちと一体になることで、自分の心の中の、その登場人物と同じ部分を重ね合わせながら、物語を体験していきます。
そうして私はサーカス物語を舞台として体験することで、一つの偉大なファンタジー経験を得ます。
それは生きる上でとても大事な気付きでした。
愛と自由と遊びの力、想像力という力です。
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私にとってエンデさんといえば小説家で、エンデさんの言葉が舞台上で生の台詞となって発せられるものを聞く体験は始めてでした。そしてそれがこんなにも刺激的なものだとは思いませんでした。
エンデさんはこんなことをおっしゃっています。
“私がものを書く場合には―擬古文調や、ある種の誇張を行わずに―現代語から、今なお生きている言葉を選び出そうとします。色や音楽の場合も、そうです。そして、この部分を、なんども強調しようとするのです。もちろん、慎重にやりますが。 ”『ファンタジー神話と現代』
演出家さんがアフタートークで言っておられましたが、今回演出される上で、サーカス物語の持っている社会性の部分に焦点を当てたということを述べられていました。
私の勝手な解釈ですが、特に今回の舞台で印象に残った台詞にこんな言葉がありました。
ちえおくれであるヒロインのエリが、落ちぶれたサーカス一座に拾われて育てられ、彼女の誕生日を知ることが出来ないサーカス一座が、なんでもない日を特別な日だと決めて、彼女のお祝いをするシーンです。
彼らは彼女に自分たちのサーカスを見せます。
エリは言います。
「みんなすごくすてき すばらしいこと!/今日みたいにすてきだと思ったの はじめてよ。/ねえ どうしてこれでたべていかれないの/世間のひとって いったい何考えているのかしら?」
すると彼らの一人が答えます。
「世間はもっとどぎついもので麻痺させられちまったんだよ」
また別の一人が答えます。
「なんでも実利実用一点ばりの時代よ/ほんのつつましい奇蹟にも 拍手してくれやしない。」」
特に私はこのやり取りの中の“どぎついもの”という表現にどきりとしました。
もしエンデが文章を飾り立てることに命をかけるような文士なら、きっともっとその言葉をごてごてしく飾りつけるのではないかと思いました。
けれど私にとってはその“どぎついもの”という言葉がとても真摯に胸に響いたのです。
現在の文化というものは、手作りのつつましいものより清潔でどぎつくてショッキングなものがもてはやされる傾向があります。
そうしてほんのつつましい奇蹟が、死んでいきます。
サーカス物語は、その現実に立ち向かう人々の話です。
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今回のSPAC版サーカス物語が最も良かったこと、それはその物語の中心をぶらせることなく、訳者である矢川澄子さんの言葉を丁寧に使って、斬新な演出でありながらエンデの幻想世界を忠実に再現されたことにあると思います。
インドネシア人であられる演出家さんの土着的な感性とあいまって、オリエンタルな明日の国がそこに生まれていたように思います。
またSPACの役者さん達も、詩的な言葉をきちんと自分の言葉とされて、全身で物語を体現されていました。
私も劇演出家のはしくれとして、一人の観客として、サーカス物語を体験することで、立ち向かうべきものがあることを再認識しました。捨ててはならないものを思い出しました。
明日を生きる力を貰ったと感じました。愛と自由と遊びの力、想像力の力を。
クライマックスのシーンのエリたちのように、正面から向き合って、戦いたいと思います。
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改めまして、今回このような貴重な体験をさせていただきましたミヒャエル・エンデ館の森陽子さん、またSPAC - 静岡県舞台芸術センターの佐伯さんに大変感謝いたします。
本当にありがとうございました。
僭越ながら、感想とさせていただきます。
寒くなってまいりました、お体ご自愛下さい。
虹創旅団・田中円
http://kosoryodan.com/