エンデの著作の中で、明らかに禅に影響を受けたとされる記述が見られるのは、「モモ」および「鏡のなかの鏡」の2作品である。該当の箇所を抜粋しておこう。
*このように、エンデは、ベッポの口を通して、長い道路を掃除する時の心構えを説き、見事に三昧の智慧を描くのです。(これは、エンデ自身から、作品を書き進める際の体験から生まれた言葉だ、と聞きましたから、間違いありません)(「モモも禅を語る」P25~26)
*「私自身、禅にはずいぶん関心をもってきました。もちろん、どれだけ理解しているか自信はありません。しかし、もし『モモ』の中に、私と禅との関わりの跡を見つけ出して下さったなら、それは、私にとって、大変な喜びであり、また名誉でもあります」(“Ich selber habe mich viel mit ZEN beschäftigt, ohne natürlich behaupten zu wollen, ich hatte viel verstanden. Wenn Sie aber in meinem Buch Spuren dieser meiner Beschäftigung entdecken, dann ist das für mich eine grosse Freude und Ehre.”)
そして、手紙とは別に、サインした著書も送って下さいました。その署名の文字と並んで、“Wahrer Mensch ohne Rang”という言葉を見つけた時は、本当に小躍りする思いでした。これは『臨済録』にある有名な「一無位の真人」のドイツ語で、地位も何もない、人間そのもの、人間の尊厳性を表現する、禅で最も重要な言葉の一つです。エンデ氏から、こんな言葉をいただこうとは、夢にも思いませんでした。(「モモも禅を語る」あとがき P162~163)
*そう、だから「鏡のなかの鏡」なんですよ。このタイトルは、禅の公案からもらいました。「鏡のなかの鏡には何が映っているか」と問う公案があるでしょう。答えは「何も映らない」となりそうですね。でも、そうでしょうか?ちがいます。ほんとうは、ここでひとつのプロセスが始まります。こちらからあちらに映し、あちらからこちらに映し返される無限の映し返しのプロセス-二枚の鏡が向き合うと、こうして何ごとかが発生するのです。(「エンデと語る」P66)
この僅かな手がかりから、エンデと禅との関わりを深く掘り下げることは、困難を伴うことであるが、私自身にとっても非常に意義あることと感ずる。記録の意味も込めつつ、日本人にはなじみ深い禅の考えから、エンデの作品の底流を探す旅に出たいと思う。
重松教授との対談のなかで、最も大きなテーマを占めたのが、「禅の贈りもの」P147(一無位の真人 ミヒャエル・エンデ、禅を語る)に記された事象であった。重松教授は、この本に書いたことが私の中でも最も重きを占めるものでしたと前置きして、エンデにまつわる数々のエピソードを語ってくださった。
最初に重松教授の口から出た言葉は、「私は大学の教授をしておりましたけれども、作品を研究するとき、その作品をいわばバラバラにして非難するような、そういう研究の仕方を良いとは思いません。難しい言葉をさらに難しく訳すのでは、よくありません。」という、坦々とした、易しくも温かみのある言葉であった。
この「禅の贈りもの」に於いて、一番さきに記されていること。それは他ならぬヨーロッパに、アジアの思想への傾倒が見られるという、とても興味深い事象であった。重松教授のこの著書にも書いてある通り、まず「個」を重んずるヨーロッパ精神の、限界というものについて話は及んだ。「個の教育、個性ということにおいて、あまりにも、個々の“違い”について重点を置きがちなのです。個性とは、奇抜ということではありません。それは一人一人の、本来のありようのことなのです」と重松教授は語りはじめられた。
その「個性」を重要視してきたヨーロッパ精神が、時代を追うごとに低俗化しているというのは、「禅の贈りもの」のなかにも書かれていることである。その救いを、西洋はどこへ求めたのだろうか。そこで初めて登場するのがアジアの思想や宗教であり、特に日本の禅に対する西洋の関心は、われわれ日本人が考えるよりも、ずっと深いのですと教授は述べられた。禅の第一目標とは何か。重松教授はご自身の言葉を慎重に選びながら、こう仰った。
「清流のない禅などない。意識が濁流のままでは駄目なのです。清い水にするのが禅の仕事です。個を重んずるだけでは駄目だ。日本人より欧米人の方が一足先に、そのことに気がつきはじめているのです。」
情報のあふれる現代を濁流に例えたその言葉は、じゅうぶんに、その場にいた私たちの胸を打った。
西洋における「個」の意識の低俗化。これについては、少し本書に戻って、言葉を補わなければならないだろう。重松教授はこの本のなかで、現代人の病根は、デカルトの二元論への盲信にはじまっていると説いておられる。自然科学のめざましい進歩によって、「客観は真実、主観は嘘」であると定義づけられてしまってから、著しく西洋人の意識は低俗化してしまった、と。二十一世紀に重要になる尺度は「叡智(Weisheit)」であると本書には記されている。体験する人そのものの感覚のなかで、「私のなかの何かが健康になった、秩序をもたらされた」と感ずることが大切なのだと書かれている(「禅の贈りもの」P154)。
つぎに、無限の連鎖に支えられた「個」、西洋的な「個性」、およびアイデンティティ(主体性)ということについて、すこし記してみたい。重松教授は著書の中で、こう記されている。
“ここで使われた「自我」に当るドイツ語は分かりませんが、禅の見方に従うなら、あくまでも「無我の主体」を表現するものでなければなりません。決して近代西欧の伝統的「自我」ではありませんから。”(「禅の贈りもの」P172~173)
“ここにも「自我」が出てきますが、エンデの言わんとするのは「無我」だと思われます。(「禅の贈りもの」P174)”
エンデと禅を語る上で、もっとも難しい扱いとなるのがこの「無」および「無我」という言葉への認識である。我を忘れる「忘我」ではなく、自我を離れて無になる「無我」。それは明治時代の巨匠、漱石などが述べた「則天去私」の言葉にも相通ずるところがある。西洋的哲学と東洋的禅学とは、まったく次元の違うものを対象としている点を忘れてはならない。
だがまさにこの点が、エンデ作品の解釈について、もっとも新しく、大胆に踏み込んだ形として遺された重要な記録であろう。エンデ自身の発言からも、彼が読者からそういう切り込み方をされるのを喜んでいたのは確かなようだ。日本になじみ深い、古典などの世界観には、この仏教的「無我」というのは常に見られる事象だったことを考え合わせてみよう。するとそういう世界観は日本をはじめとするアジア諸国に、ごくごく最近まで、存在していた感覚ではないのか、という疑問が残る。だとすれば私たちのアイデンティティは、エンデによって、ドイツという西洋を通じながら、新しくアジアの、しかもこの日本に根ざした「禅の視点」を、再輸入したことになるのではないだろうか。ここに「エンデ禅」の言葉の面白さ、意義深さがある。二枚の鏡が映し合うものは幻影ではない。西洋は東洋を映し、東洋は西洋のなかに見出される時代になったのではないかと、あえて言ってみたいと思う。西洋的「自我」を探しに出て、そのアイデンティティを東洋的「無我」のなかに見出すというのは、非常に滑稽でもある。だがおそらくエンデなら、ここで子供のようにはしゃいだに違いない。そしてそのエンデは、すでに彼岸へと旅立っていった。「人間が死とは何かを知っていたら、怖いとは思わなくなるだろうにね」という言葉を遺しながら。
そして思い出してもらいたい。はてしない物語の鏡の門をくぐるとき、アトレーユが目にしたのは、現実と紙一重になった自分自身の分身の姿、すなわちバスチアンそのものであった。アトレーユは、バスチアンの像のなかに自らの意思で入っていく。現実と虚構を結びつける一本の糸が、ここには確かに存在している。しかし、鏡そのものであるエンデの魂を解き明かす手がかりは、皆無といっていいほど存在しない。また、時間の花が浮かんでくるモモの心の中の池のイメージ、その池の底には何があるのか。エンデの魂の中心、深い心の底流には何が流れているのか、という問いは、エンデの作品を読み解く上で忘れてはならないキーワードの一つである。また、「鏡のなかの鏡」が禅の公案をヒントに書かれたという発言も、非常に重要である。
これらの作品に鏡のように映されているプロセスでまず見えてくるのは、それぞれの読者が読み解く自分自身の分身であろう。池の水も鏡のように自分自身を映すが、やがては澄んで、鏡の奥底へと下りていく作業を要求されるのがエンデ作品の醍醐味のようである。そこに切り込んでいけるのはどうやら、禅の定義する「無我」だけではないかと思わせるものがあるが、それもまたこれを執筆する私自身の投影に過ぎないかも知れない点は、あらかじめお断りしておきたい。
さて、ここで禅における「無」と「空」について、話を進めようと思う。重松教授は、モモの物語のなかで描かれる時間の花の池について、その底には「空」と呼ばれる「無」がある、と熱っぽく語っておられた。「何にもない、ということは、すべてがある、ということにつながるのです」。この禅の考え方は、ほかに比類を見ない解釈であると私は思う。では、「無」とは何なのであろうか?
それは、真実の自己、本当の自分自身に出会うことであり、そのためには、意識をいちど「空っぽ」(色即是空の「空」)に戻す必要があると、「禅の贈りもの」には書かれている。意識を本質に戻す作業が禅によらなければ不可能な旅であるのなら、私たちは、恐れずに進まなくてはならないだろう。癌という病を乗り越えて彼岸へと旅立ったエンデのように、また、tod(死)の影を恐れずに自分のもとに受け入れた老婆オフェリアのように。
エンデの対談集には重松教授とのそれだけでなく、たくさんの人とのやりとりが出てくるが、真実の自己、本当の自分自身に出会うことは、近代西欧の伝統的「自我」に出会うことではない、と、重松教授は説いておられる。「自然は人間の支配すべきもの」という思想が入ってくる西欧の自我、「もう少し悪がしこく自然を搾取しようという態度」の見える西洋からの「エコロジー」の動きではなく、「宇宙全体から自己を見直す」ゼン・ユニヴァーサリズムが、いままさに必要なのである。難しい言葉にはなるが、「無我の主体」を表現するものでなければならない、と、著書の中で重松教授は述べておられる。
エンデ文学の発想の根幹には、禅への知識と、それを活かす柔軟心が潜んでいるような気がする、エンデはそういう意味で現代の「作家(さっけ)」ではなかったかと、書籍のなかで禅を紐解いておられるのである。個人的には、この話題は、シュタイナーなどの西洋的な芸術的自我(Ich)と、禅における無我の対比が際立つ方向へ話が転んだので、非常に興味深い会話を楽しむことが出来たように思う。而して、エンデの記した「一無位の真人」という言葉は、左様に非常な重さをもって私の胸に迫った。
私が病床にありながらも、三年の闘病の月日を経て重松教授と相対し、生前のエンデを髣髴とさせる話を伺うことができたのは、思い返しても大変な幸運であったと感ずる。私たちは果たして、エンデを通じて何を発見し、何を見つけ、何を感じるのだろうか。そこには自由の牢獄も、鏡の迷宮も、また甘美なファンタジーにもあふれた世界が横たわっている。そこを通ってきたとき、私たちはその作品に触れる前と後とで、いったいどのようなプロセスを経て、どう変わったのだろうか。これが、エンデの「終わりなき終わり」、イコール「エンデのいない物語」の、最後の夢の砦であるのではないだろうか。
いまや、エンデの遺言は多くのメディアに取り上げられ、幻想であったことが現実となったように私には思える。世界は経済界をはじめ危機に瀕しているが、言葉だけを残してかき消えたエンデのいない世界の中で、明日を託されたのは私たち自身、私たちの心のなかの永遠の子供であるのではないだろうか。
(文責:森 陽子)