エンデとシュタイナー


エンデとシュタイナーに関する私見

・エンデとシュタイナー教育
・エンデとシュタイナー思想
・エンデとメディア

シュタイナー教育・思想 書籍紹介

シュタイナー関連リンク


 2017年7月2日、早稲田大学名誉教授の子安美知子先生がご逝去されました。
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。



エンデとシュタイナーに関する私見


 エンデの作品世界には、シュタイナーの理念に通底する部分がおおく見られます。
本稿の掲載において、アントロポゾフィー・メーリングリストGAIAのメンバーの皆様
には多大なご協力をいただきました。この場を借りまして厚く御礼申し上げます。


<エンデとシュタイナー教育>

 エンデとシュタイナーとの出会いは、彼が17歳の時にさかのぼる。
 それまで通ったギムナジウムから、知人の紹介でエンデが転校した先がシュタイナ
ー学校であった。詳細は年譜の項に述べるが、エンデは12歳で一度落第も経験し
ており、いわゆる問題児であったという。
 学校に対する強い反感も枷となって、転校後もシュタイナー学校の教育方針にすん
なりとけこんだ訳ではなかったらしい。が、シュタイナー学校の自由な校風は、エンデ
にそれなりの開眼をもたらした。
 「何か本当の勉強ってものをやりたい意欲が湧いてきた。そのためにはあせって先
へ進むよりも、じっくり時間をかけて学びたい」。
 自発的に学ぶことの楽しさを初めて知り得た当時のエンデが、両親に宛てた若や
いだ手紙が遺されている(「シュタイナー再発見の旅」子安美知子著)。

 しかし、そのシュタイナー学校を、エンデは卒業を間近にして2年足らずで退学、俳
優学校に転入している。エンデ自身は、シュタイナー学校から当時の自分が受けた
影響については、実はさほど重要視しておらず、異文化ショックのような「ものめずら
しさ」程度であったと述懐している(「エンデと語る」子安美知子著)。
 シュタイナー学校が日本で紹介される折にあたっては、一時的にせよエンデがシュ
タイナー教育の申し子であるような過剰な報道がなされたこともあったらしい。かと言
って、エンデが作家として大成したのはシュタイナー教育の賜物だ、などと原因づけ
るのはあたらない。
 子安氏がその著作で指摘するように、エンデ文学とシュタイナー教育を直結する
ことは、早計にすぎると思われる。


<エンデとシュタイナー思想>

 シュタイナーの思想については、エンデ本人は、精神のありかたという最も重要な
部分においてはシュタイナーの理念によるところが大きいことを認めている。しかし、
彼自身がシュタイナー人智学の信望者(アントロポゾーフ)であったかどうかという事
については、エンデは明言を避けている。

 これはおそらく、シュタイナー思想そのものが当時、多くの可能性を秘めて広がり
始めた時期でもあったために、信望者の中にもさまざまな幅が生じていたのが一因
でもあったろうと思われる。エンデをアントロポゾーフの最大の代表たらんとする動
きもあれば、一方では「はてしない物語」映画化に伴い、互いに批判論争をくりひろ
げた時期もあった。
 当時の信望者の中でもやや意見が分かれた所でもあるが、シュタイナー思想が
「映画を芸術のメディアとして認めない」(「ミヒャエル・エンデ ファンタジー神話と
現代」樋口純明著、現在は絶版)立場にあって、エンデはシュタイナーの芸術観は
貧しすぎると述べ、また信望者の側からも「背徳のアントロポゾーフ」と呼ばれ大論
争をまき起こした経緯を、無視すべきではない。
 なぜならそこにこそ、エンデとシュタイナーの違いが際立つのであり、作品理解へ
の鍵も、また内包されていると考えるからである。

 エンデが具体的にシュタイナー思想に対し行った批判は、さきの「ミヒャエル・エン
デ ファンタジー神話と現代」に詳しい。いくらかを引用させていただくと、
1)エンデの想像力は、ゲーテの感性的ファンタジーと一致しないと言う批判は的外
 れであるとの意見
2)シュタイナーの神秘劇は、芸術的観点からは重要でないという見解
3)「技術を使うことだけを理由に」そこから生まれる試みまでも止めるべきだとする
 考えは誤りだとする見解
などである。
 オイリュトミーや、古代言語の発音をまねることから霊に満たされた言葉を引き出
そうとする理念についても、不可能であるという見解を述べている。
 また、シュタイナーの著作にある言葉だけに忠実たらんとする教条主義的なアン
トロポゾーフたちに対しても、真っ向からの批判を行っている。両者の芸術観の大
きな隔たりについては、未だ語り尽くせない部分も多いが、エンデの展開する想像
力のありかたや作品世界にあらわれる細かなディテールなどにおいて激しい議論
がなされたことも、見逃さないでいただきたい。

 エンデがみずからシュタイナーの思想を手に取ったのは、20代も後半のことで
あったという。エンデはすすんで多くのシュタイナー系列雑誌のインタビューに答え、
キリスト者共同体という組織にも籍を置いた。シュタイナーの世界観、精神科学と
いう認識理念が、エンデのなかに深く根をおろしていたのは事実である。晩年に
刊行された「ミヒャエル・エンデが読んだ本」にはシュタイナーの、自由についての
哲学がおさめられている。
 シュタイナーの思想は種々の分野にわたっているが、彼の提唱した人智学思想
が、人間個人などという小さな思想の域をはるかに超えた、宇宙の節理とでも言う
べき普遍的な理念についての論説であることは確かな事実である。そういった宇
宙観は、やはり若い頃からキリスト者共同体に出入りしたエンデの父、画家エトガ
ルの精神世界から受け継がれたとの指摘もある(「闇の考古学」岩波書店刊)。
 エンデはルドルフ・シュタイナーのことを、非常に親しみをこめてルーディという愛
称で呼んだという逸話がある。それほどまでにエンデとシュタイナーは近しい存在
であり、まさに精神上の父というべき間柄にあった。
 シュタイナーの認識論や、父エトガルとの関わりは、エンデ作品に内包する宇宙
観を読み深めていく過程に於いて一読の価値を持つものであろう。

 シュタイナー思想と、ユング理論の無意識論(シュタイナー理論では、超感覚論)
とに類似性が指摘されていることや、またシュタイナーの宇宙観・死生観といった理
念に、日本固有の仏教や禅などの思想を照らし合わせることも可能であると思われ
る。それはエンデが、そういった認識の道をシュタイナーのみならず、ローゼンクロ
イツやクローリー、インドやエジプトの秘境思想、カバラなどにも探り求めていったこ
とにも関わってくる(「ミヒャエル・エンデ物語の始まり」ペーター・ボカリウス著)。
 エンデが後年、東洋の精神文化や芸術、とりわけ日本の精神土壌を色濃く反映し
た、能や弓道などの活動概念に着目したのは、かかる経緯があったためだとも想定
できる。日本の地でエンデ文学がかくも成功をおさめた一因を、そこにさぐることもで
きよう。

 エンデは「はてしない物語」の女王、幼ごころの君を、本来は装束をまとった日本
の神童として描いたのだという。ここに西洋と東洋の精神文化土壌の、交差線をみる
ことも出来るだろう。エンデ作品を一思想体系から眺め、分析することは容易である。
だが、シュタイナーを含む思想や多くの宗教、そしてエンデが共通して目指したもの
は、いわば人智を超えた真理とでも言うべき意識の高まりであっただろうと思える。
エンデは卑近な「シュタイナー思想普及」「人権擁護」などといったスローガンによっ
て、筆を執っていたわけではないことを、申し添えておきたい。


<エンデとメディア>

 エンデが映画やテレビ、コンピュータといったメディアをどう位置づけていたかは、
残念ながらこれといった談話が遺されていないため不明のままである。が、若かりし
頃エンデは映画評論家であり、さきに述べた「はてしない物語」映画化にあたっても
多くの擁護議論を展開していることから、この点に限っては、少なくとも当時の「保守
的な」アントロポゾーフたちの映画排斥論とは相容れなかっただろうことは容易に想
像できる。

 実のところ、この「シュタイナー理念はメディアをどう捉えるか」といった問題につい
ては、アントロポゾーフの間でさえ議論が出尽くしていないためこの場で一概に断ず
ることはできない。しかし、いずれにせよメディアのあおる文明の情報に浮き足立ち、
我を忘れて埋没することや、真の自己を見つめずして情報に溺れ続ける(シュタイナ
ー理論ではルシファー性、アーリマン性と呼ぶ)ことを、その理念は認めていない。
 そういった情報社会のもたらす害悪とでもいうべきものを、いかに克服し、いかに
正しく用いていけるか。それは今現在、シュタイナー理念活動を行っている人々にこ
そ、より真摯な問題となりうるに違いない。

 エンデ作品という観点からは、このルシファー性、アーリマン性という概念存在が、
作品世界の登場人物に反映されているという見方も当然なりたつ。が、この点につ
いては、むしろアントロポゾーフである方々からの詳しい所見を待ちたいと考える。


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シュタイナー教育・思想 書籍紹介


「魂の発見 シュタイナー学校の芸術教育」子安美知子 著(音楽之友社)

 シュタイナー小学校における具体的な授業風景を通して、音と色と音楽が
どのように子供たちの認識感覚を育て、どのように体に定着していくか、そ
の過程をえがいた体験手記。はじめてシュタイナーにふれる人にもとりかか
りやすい一冊。
 ドイツでの生活をおくった著者がじしんの娘の通ったシュタイナー学校に
ついてつづったもの。


「シュタイナー教育を考える」子安美知子 著(学陽書房)

 1981年4月から6月まで、10回にわたって行われた子安美知子氏による
朝日カルチャーセンター公開講座の講演記録。西独と日本の学制・教育方
法の主たる違い、西独におけるシュタイナー学校の位置をしるしつつ、おも
に1年生から8年生までの授業が実例をあげて体系的に紹介されている。
 「教育は学問ではなく、芸術であるべきだ」と述べたシュタイナーの言葉ど
おり、芸術にひたされたところから浮かび上がる真の人間の自由を主眼とす
る教育方法である。フォルメンやエポック授業のめざすもの、すべての教科の
壁を越えて行われる心身の育成をどのように実現させていくかが語られる。
 人間教育の発露としての教育法が順をおって記されているが、安易な方法
論としての教育手段とするのは本書の意図ではないようである。「私とシュタイ
ナー教育」他の思想実践書との併読をおすすめする。

「人間理解からの教育」ルドルフ・シュタイナー 著 西川隆範 訳(筑摩書房)


「教育術」ルドルフ・シュタイナー 著(みすず書房)

 アントロポゾーフの教師たちに向けて行われた、12日間におよぶシュタイ
 ナー自身による講演会の記録。芸術と教育の関わりから、各々の年齢に即
 した発達段階における授業カリキュラム、またシュタイナー理論独自の実践
 教育方法が提唱されている。あくまで教師向けの講演なので中級以上向け。


「自己認識への道」ルドルフ・シュタイナー 著(人智学出版社)

 魂のレベルで、人がどのように世界を認識するかという観点から記され
た方法論。物質世界における自己存在と、霊的世界における自己の認
識観をさぐる軌跡がしるされている。
 魂の活動という観点から輪廻転生観についても触れられており、エンデ
じしんのそれについても思い浮かぶことがおおい。
 かかる思想書の常として受け手側の状況によっては、いかようにも解釈
できてしまう危うさは避けきれないので、殊に初心者には少々荷が勝ちす
ぎるかもしれない。他の書との併読をお薦めする。


「シュタイナー再発見の旅」子安美知子 著


「ミュンヘンの小学生」子安美知子 著(中央公論社)

1971年〜73年までの2年間、西ドイツのミュンヘンで暮らした一家の留学記。
当地で小学1年生を迎えた6歳の少女−フミの入学、友達との交友を通じて
シュタイナー授業の思想に深く触れた母親の、シュタイナー体験記でもある。


「ミュンヘンの中学生」子安美知子 著(朝日新聞社)

 4年間の日本での学校体験を経てふたたびミュンヘン・シュタイナー学校へ
と舞い戻った中学生、フミ。改めて出会うシュタイナー教育へのとまどい、巣立
ちまでの波乱の道のりが、教師と生徒、親と子の立場から語られる。
 物語として語られる授業形態、4つの気質、8年制をとる担任教師との再会と
別れなどをとおして捉えたシュタイナー学校の実態がえがかれている。


「ミュンヘン行き来−ふたつの国の娘と私」子安美知子 著(学陽書房)

  子安氏と娘フミ氏の親子の会話を織り交ぜつつ、異国で成人した娘と
母との体験手記。
 母子の目を通してみたミュンヘンの国柄が、その町の息吹を感じさせる
内容となっている。当時イタリアに居住していたエンデとの対話も収められ
ている。
 シュタイナー教育における自由とは何か、自立とは何かをひもときながら、
西ドイツの教育ひいては大人と子供のあり方についても考えさせる作品で
ある。


「日本(ヤーパン)の夏 ぼくはミュンヘンから自分を探す旅に出た」
子安美知子 著(晩成書房)


 シュタイナー学校の卒業生、シュテファン・グマインドル青年の100日に
およぶ訪日記。子安美知子氏の長女の級友であった彼が日本で書きと
めた出来事を、新たに筆を加えてまとめたエッセイふうの旅行記である。
 思想そのものとの関わりはないが、彼の目をとおして日本人に対する音
楽への姿勢や、生活・教育の違いなどがおのずと見通されて興味深い。


「私とシュタイナー教育」子安美知子 著(学陽書房)

 日本の幼稚園や図書館、学園などで行われた子安氏の5つの講演会と、
シュタイナーハウスの誕生にまつわる報告文を含む7編の記録から構成さ
れたシュタイナー教育思想の紹介。
 ハウツーだけにとどまらないシュタイナー思想の観点をひろめ、その活動
に関わる人々の内なる軌跡をも描きつつ記された本書は体験記のような色
合いもおびている。具体的なシュタイナー教育手法についての記述は割愛
されているので、その点については他書を参考とされたい。
 「はてしない物語」におけるテーマ性について述べられた一文も収録され
ており、シュタイナー思想からみた新たな観点への広がりが提示されている。


「7歳までは夢の中」松井るり子 著(学陽書房)

 母親が幼稚園をひらいたことでシュタイナー教育に触れ、渡米先でアメリカ・
 カリフォルニアのシュタイナー教育に保育参加した女性の手記。1991年から
 1年間、5歳の息子を通わせた。
  幼年期は母の胎内の延長であると考えるシュタイナー幼児教育のありかたが
 具体例をまじえて報告されている。木の実や貝、水晶、布人形などの自然の玩
 具、ぬらし絵や、テレビを遮断することからはじまる静けさの保持などが記されて
 読みやすい一冊。適応でも騒々しい爆笑でもなく、穏やかな感情の流れを重ん
 じることから母としてのシュタイナー教育を論じてある。


「私のまわりは美しい」松井るり子 著(学陽書房)

 ボストンのシュタイナー小学校に子供を通わせ、自身もまた学校見学・折り紙な
 どをとおして教育参観をおこなった著者の手記。音楽や詩に対する教育のすが
 た、子供たちの様子やエピソードが収められているが、前作とくらべ訪米期間が
 8週間とみじかい上に、どうしてもシュタイナー学校で使用した物品の記述の方
 がめだってしまった印象がつよい。授業の個々の意義をシュタイナー思想にま
 で引き比べる材料も、やや前作より少なく、残念な気がする。ドイツ・ミュンヘン
 の学校とはいくらか相違点もあるようでその点は興味をひく。


「菜多沙NATASHA−母と娘のリレーエッセイ−」
 子安美知子 小安フミ 共著(フレーベル館)


 幼くしてシュタイナー教育にまなんだフミ氏の体験、成長などが母娘それぞれ
の眼をとおして記されたエッセイ集。母の生い立ちと体験、娘のシュタイナー学
校との出会い。音楽、仕事、恋愛と結婚、フミ氏の娘ナターシャの誕生にともなう
さまざまな親と子の論や思いがとびかい、世代的な違いをも浮き彫りにしている。
 母娘が時を同じくして出会ったシュタイナー思想やエンデとの逸話も収録され
ている。フミ氏と「ジムボタン」の出会い、輪廻転生を口にするエンデの言葉など
がえがかれている。


「シュタイナー教育小事典 子ども編」西川隆範 著(イザラ書房)

シュタイナー自身の講演の抜粋。七年期ごとの成長段階、子どもの本質論、言
語と思考の関わりや色彩の意図するものなどについて、比較的判りやすい講演
の部分が抜粋されている。初心者向き。
 付録として国内外の論文文献、各国に点在するシュタイナー学校・幼稚園の
所在地の掲載もある。


「”授業”からの脱皮−ペスタロッチからルドルフ・シュタイナーへ」
 ベルン自由教育連盟編 子安美知子監訳


  西ドイツにおける教育の歴史的な流れとそのあらましの論述。シュタイナー授
 業の派生の流れを大まかにつかむことができる。
  授業内容については、音楽・国語・幾何・演劇などの10項目が単元別に記さ
 れており、学ぶ側教える側の授業の実態を浮き彫りにしている。


(雑誌記事)「灯台」第三文明社 P67〜70<友遊トーキング>

 小児科医・毛利子来氏と小安フミ氏との対談。シュタイナー教育と児童期の人
 間性などについて、体験をもとに語られたインタビュー。

 なお、アントロポゾフィー運動の概略を伝える本がいくつか出ていますので、
ご参考までに記しておきます。
「シュタイナー入門」ヨハネス・ヘムレーベン他著(人智学出版社)現在は絶版
「ルドルフ・シュタイナーと人智学」フランス・カルルグレン(水声社)
「ルドルフ・シュタイナー」上松佑二(パルコ出版)
「ゲーテ的世界観の認識論要綱」シュタイナー、浅田豊 訳(筑摩書房1991年)




シュタイナー関連リンク  7件


那須国際シュタイナー学園      

 現代では一口に教育と言っても様々なスタイルが存在するようになりました。子どもの素質を伸ばし、自立し、自己教育できる人間として育てるために、子どもたちにはその子どもに合った、選択可能で多様な教育の機会が必要です。

教育を通じて、より深い人間観を学び、自然を尊び、さらには、社会を作り、未来が創造できたら、どんなに素敵でしょうか。。




e-baby 自然流育児と暮らしのネットワーク

 イーベビー株式会社のHP。全国の産院や病院で、マタニティから0歳児のお子さんをお持ちのお母さん向けに向けに無料の情報ガイドブック「イーベビーガイドブック」を発行しています。
悩み相談室、イベント情報、子育て豆知識など赤ちゃんにまつわる情報がいっぱいです。



ルドルフシュタイナーシューレ富士Japan

 北川雅子さんのサイト。富士市で1986年から教室活動をおこなっています。


三月書房

 シュタイナー関係の図書などを取り扱っている京都の本やさんのHPです。


森 章吾のホームページ

 ゲーテ・シュタイナー的な見地をふまえ、シュタイナー教育を基本から捉えるためのサイト。
 実際のカリキュラム例、ぬらし絵をはじめる方への案内などが記されています。
ご自作の、子どもへ語るための「お話の素材」4題は、しみとおるような美しさです。


アントロポゾフィー・メーリング・リストGAIA

 シュタイナーの思想を考えるメーリングリストです。

周一のページ

 ドイツのシュタイナー学校に留学した永田周一君のホームページです。
エポックノートやシュタイナー学校の紹介をみることができます。


日本アントロポゾフィー協会/
ルドルフ・シュタイナーハウス



〒162 東京都新宿区喜久井町20
電話番号 03-3205-9645



 教育・農業・建築・医療等の社会実践、絵画・文学・音楽・朗唱・演劇・
オイリュトミー等の芸術実践、数学・宗教学・史学・美学・心理学など、
社会科学や自然科学を含むあらゆる学問領域、人間のすべての生の
営みに新しい生命を吹き込むため、現代の世界観が切り捨ててしまっ
た精神的なものへの洞察を、現代にふさわしいかたちで新たに認識し
ていこうとする人々の集まり。おもに、研究会、勉強会、各種講座・講演
会、フォルメン・オイリュトミー・彫塑や水彩などの実習を行なっている。
また、アントロポゾフィー(人智学)の創始者、ルドルフ・シュタイナーが
設立に関わった、スイス・ドルナッハに拠点を置く普遍アントロポゾフィ
ー協会(一般人智学協会)の日本における窓口のひとつでもある。案
内を希望される方は、「案内請求」と明記した封筒に切手300円分を同
封の上、上記宛にお送り下さい。

上記は日本アントロポゾフィー協会ルドルフ・シュタイナーハウス  佐藤様よりご寄稿を頂きました。


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