《鳥人幸吉伝・・空にあこがれ鳥になることに一生をかけた男の物語・・》
著者:小松秀二さんからのメッセージ
こんにちは、「鳥人幸吉」に興味を持っていただき感謝しています。
平成3年10月に、息子と娘が所属していた「宇宙航空青少年団」から紙飛行機(Whitewings)を持ち帰りました。この紙飛行機を見たとたん、子供の頃からの”飛ぶ物大好き”心が蘇り、早速Whitewingsを作り、子供たちと一緒に無謀にも木村杯へ参加しました。そこで、Whitewingsの設計者二宮康明博士に出会い、魔法のような手つきで私の機体を触り、なんと30秒も飛ぶように調整されました。これが、完全に紙飛行機の世界にはまり込んだ原因です。 その後、家族全員で競技会へ参加するようになり、第2回ジャパンカップ全日本紙飛行機選手権大会規定機種部門では、私と娘が優勝・準優勝になりました。また、第4回同大会では規定機種U部門でも運良く優勝することができました。このお陰で、人生が変わってしまった様です。 紙飛行機と出会ってからは、3度も米国スミソニアン航空宇宙博物館を訪問する機会がありましたし、ライト兄弟の初飛行の地キティーホークや自転車屋があったデイトンまで、二宮先生と紙飛行機仲間で楽しい旅をすることができました。次回はリリエンタールが飛んだ丘で紙飛行機を飛ばしたいと思っています。 また、紙飛行機教室を数多く引き受けることが、優勝者の義務かなとも思い、多くの方々にご指導することに喜びを感じています。 「鳥人幸吉」との出会いは、岡山で「幸吉研究会」が発足したことを新聞で読み、亡父が「鳥の格好をして、橋の上から飛んだ男が岡山にはおったんじゃ」と、10歳の頃に聞いた事を思い出しました。そして、研究会会長の古泉先生に連絡をとり、数多くの資料やご意見をいただきました。 私は、幸吉が行灯の光の中で、翼を設計している姿が、自分や多くの”飛ぶことに魅せられた皆さん方”とイメージが重なり、幸吉の存在を広くアピールしたいと思いました。詳細は、本文をご一読願います。 また、本書を読んでいただいた方の大半が、「設計図や翼は残っていないのか?」とお聞きになられますが、罪人扱いされた者の所業は、跡形もなく焼き捨てられたので残っていないと回答しています。 アクティブ・GALSの皆さんとは幸吉に関して、スカイスポーツシンポジウムの会場でお話させていただきましたのが縁で、このたびホームページへの掲載となりまして、誠に感謝しております。幸吉もさておき、chick−2000プロジェクトの応援もよろしくお願いします。
小松秀二さんとの出会い
"アクティブギャルズ"は、1994年8月、アメリカ、シアトルで開催された『国際人力飛行シンポジウム』で、私達の人力飛行機の活動について講演を行いました。翌年、'95年12月、日本でもこの『国際人力飛行シンポジウム』にちなんで、『第1回スカイスポーツシンポジウム』が開催されました。この時私達のチームは、幾つかの講演を行いましたが、その内の1つに、『国際人力飛行シンポジウム』で行った講演の日本語版も含まれていました。この論文には、我が国で初めて空を飛んだと言われる浮田幸吉について触れ、幸吉のフライトを挿し絵に引用している部分が有りました。 平成10年9月27日 CHick−2000プロジェクトチーム "アクティブギャルズ" パイロット 堀琴乃 代表 吉川俊明 それでは、「鳥人幸吉伝」をお送り致します。 Copyright(C), 1998 Komatsu & ActiveGals 本コーナーの著作権は、小松秀二氏 及び ActiveGals に有ります。 許可無く転載することを禁じます。 |