飛行機の歴史(ひこうきのれきし)

昔(むかし)から人々(ひとびと)は、空を飛ぶことにあこがれ、挑戦(ちょうせん)してきました。

飛行機の知識(ちしき)について、最初(さいしょ)にたくさんのことを発見(はっけん)したのは、イタリア人のレオナルド・ダ・ビンチでした。ダ・ビンチは1490年に人力羽(じんりきは)ばたき機(き)の模型(もけい)を考(かんが)え出(だ)しました。

1785年 日本人の 浮田幸吉 (うきたこうきち)が飛行に成功(せいこう)したと言われています。

1849年 イギリス人のジョージ・ケイレーは、航空学(こうくうがく)を理論(りろん)づけました。この原理(げんり)で三葉(さんよう)グライダーをつくり、人を乗せて飛んだといわれています。



1891年 ドイツ人のオットー・リリエンタールが、グライダーで2000回以上(かいいじょう)も空をとび、飛行するための操縦技術(そうじゅうぎじゅつ)をつぎの世代(せだい)の人たちに伝(つた)えました。


1897年 フランス人のクレアマン・アーデールが自分(じぶん)の力(ちから)で空を飛ぶ飛行機をつくり飛行に成功(せいこう)しています。しかし、この飛行機は飛ぶ方向(ほうこう)さえコントロールできませんでした。

1903年(明治36) アメリカのライト兄弟(きょうだい)が、歴史(れきし)にのこる、人類初(じんるいはつ)の動力(どうりょく)による飛行に成功(せいこう)したのがきっかけとなり、飛行機は発展(はってん)しました。
翼(つばさ)の設計(せっけい)も、コントロールがかんたんで、とびやすいものにしようと、いろいろな形(かたち)や大(おお)きさがかんがえられ、翼(つばさ)が一枚(いちまい)のもの、二枚(にまい)、三枚(さんまい)のものさえありました。

1909年 ブレリオの開発(かいはつ)した飛行機 ブレリオ X(えっくす)11 モノ. は、ドーバー海峡(かいきょう)を飛行し、やっと実用(じつよう)に耐(た)える飛行機ができました。


日本の飛行機は、ヨーロッパの技術(ぎじゅつ)を学(まな)ぶことから始(はじ)まりました。

1910年(明治43)に、徳川好敏(とくがわよしとし)がアンリ・ファルマン機で、続(つづ)いて日野熊蔵(ひのくまぞう)がグラーデ機で日本人(にほんじん)としてはじめて飛行し、翌年(よくねん)には、奈良原三次(ならはらさんじ)が初(はつ)の国産飛行機(こくさんひこうき) 奈良原式2号(ならはらしき2ごう)の飛行に成功(せいこう)しました。




1915年(大正15) 最初(さいしょ)の戦闘機(せんとうき)フォッカーE(いー)−1がドイツで開発(かいはつ)されました。

1927年(昭和2) リンドバーグが、初(はじ)めて大西洋(たいせいよう)の横断飛行(おうだんひこう)に成功(せいこう)しました。

1937年(昭和12) 日本の航空研究所(こうくうけんきゅうしょ)で設計(せっけい)された長距離機(ちょうきょりき) 神風号(かみかぜごう)が、11,651kmを62時間(じかん)22分(ふん)で飛んで世界周回記録(せかいしゅうかいきろく)を作(つく)りました。同(おな)じ年(とし)にドイツのジェットエンジン機が初飛行(はつひこう)に成功(せいこう)しました。ジェットエンジン機はプロペラ機より、とても速(はや)く、はるか遠(とお)い距離(きょり)をとびました。

1952年(昭和27)になると、最初(さいしょ)のジェット旅客機(りょきゃく)がうまれました。同(おな)じ年(とし)、第2次大戦後(だい2じたいせんご)とだえていた日本の飛行機生産(ひこうきせいさん)も再開(さいかい)され、多(おお)くの人々(ひとびと)の努力(どりょく)により、世界(せかい)の水準(すいじゅん)にまで達(たっ)してきました。

1958年(昭和33) 大型(おおがた)ジェット旅客機(りょきゃくき)ボーイング707(150人乗(にんの)り)が登場(とうじょう)しました。そして、今では大型(おおがた)ジェット旅客機(りょきゃくき)が、毎日(まいにち)、何百万人(なんびゃくまんにん)もの人々(ひとびと)を世界中(せかいじゅう)に運(はこ)んでいます。

1962年(昭和37) 第2次大戦後(だい2じたいせんご)はじめての国産旅客機(こくさんりょきゃくき)YS−11(わいえす11)が初飛行(はつひこう)しました。


1985年(昭和60) 低騒音STOL実験機(ていそうおんすとーるじっけんき)の飛鳥(あすか)が初飛行しました。

近年(きんねん)では、宇宙時代(うちゅうじだい)をむかえ、航空宇宙技術開発(こうくううちゅうぎじゅつかいはつ)が進(すす)んでいます。