【“クレーマー賞”と我が国の人力飛行】

 人力飛行と言えば、今は亡き英国の実業家 ヘンリー・クレーマー氏 が1959年に提唱した “クレーマー賞” があまりにも有名です。
この賞は、人力飛行に当初の “クレーマー8の字飛行賞” の発表当時から、飛行距離や速度だけに留まらず、大空を自由に飛行できる性能を求めていました。FAI I−Cクラス人力飛行部門のルールもそれに基づいて作られたようです。

 日本で人力飛行と言えば読売TVの “鳥人間コンテスト” と受け取られますが、出発(離陸)は琵琶湖の松原水泳場に架設された高さ10mの プラットフォームに補助されています。女性の人力飛行機独特の高度な設計・製作技術や、卓越した操縦技術が必要な自力離陸とそれに続く上昇、
更には 運動性能の追求に関する研究や飛行 は、なおざりにされているのが現状です。

  

(1)我が国の旋回飛行の歴史

 我が国の人力飛行の歴史は、大昔からの人々の夢を追いかける “クレーマー賞” に刺激された鳥人間達の情熱に始まります。
1963年、日本大学理工学部は木村秀政教授の指導のもと “リネットT” 号の開発に着手しました。 “リネットT” は、地面効果を最大限に活用しようと、 低翼プッシャ−式のユニークなスタイル で、'66年に初飛行に成功、1号機にも関わらず43mを飛行しました。

 70年代に入り、当時英国の “ジュピター” 号が公式世界記録1071mを更新、 “クレーマー8の字飛行賞” の獲得を狙って、同じく日本大学が “ストークB”号 を開発しました。 “ストークB” は、'77年に直線飛行距離の世界記録2093.9mを樹立し、その後旋回飛行に挑戦しましたが、約270°旋回してスパイラル降下に陥り接地してしまいました。
現在同機は、上野の国立科学博物館に展示されています。

'83年には “ミラン82” 号が“クレーマー8の字飛行賞”に挑戦しましたが、約1400mの飛行後にやはり接地しています。
“ストークB”“ミラン82” は当時の人力飛行機の中でも卓越した性能を誇りましたが、360°の旋回飛行は達成出来ませんでした。
これは、当時の人力飛行機の設計・製作技術が発展途上に有り、現在のように カーボンファイバーやケブラー と言った新素材の入手が不自由な時期の挑戦であった事にも一因すると考えられます。

写真3.日本大学“リネットT” 写真4.英国“ジュピター”
写真5.日本大学“ストークB” 写真6.日本大学“ミラン82”


(2)我が国の女性人力飛行パイロット

 我が国には、FAIルールに基づく人力飛行記録に挑戦した女性パイロットが3名います。私こと KoToNoをはじめ、 お茶の水女子大村岡ちひろさん、 東北大学隅川真由美 さんです。私達3人には体格差が殆ど有りません。 小柄・軽量・パワフルな共通点 でも同じです。
3人とも短期間に厳しいトレーニングを消化し、人力飛行では最もパワフルな 瞬発力(最大筋力と最大筋速度)と操縦技術 が要求される自力離陸〜上昇飛行に成功しています。

 女性パイロットの人力飛行は世界でも数少なく、唯一アメリカの ロイス・マッカリンさんの“ミシェロブ・ライト・イーグル”号 の記録が突出しています。日本では飛行距離や滞空時間はまだまだ彼女の大記録に及びませんが、『大空を自由に飛びたい』と言う人々の夢に向かって、一歩一歩着実に技術を蓄積・発展させています。 レディースバードマン の世界でも人力飛行はスカイスポーツの一環に進化しつつ有ります。今後更なる女性パイロットの登場に期待しています。


HYPER-CHicK KoToNoLimited 2m越えの瞬間
(↑クリックすると関連記事に行けます)


“FirstLady”パイロット;Windnauts 隅川真由美


“ミシェロブ・ライト・イーグル”(ドライデンリサーチセンター)

(3)パイロットの性差

 優秀な男性パイロットは270Wを1時間持続し、その仕事量は9.7×10^5 Jに達します。一方、女性パイロットは、標準的 (むしろ少し小柄な方が人力飛行に向いている ようですが…??)な日本人の場合、どんなに頑張っても200W、 4〜5分の持続が限界で、仕事量は5〜6×10^4Jに
しかなりません。 勿論、アイススケートのゴールドメダリスト橋本聖子さん
クラスは別ですが…。

男女の性差は、 パワーで2倍、持続時間で10倍、合計約20倍の開きが有る と考えて良いでしょう。飛行距離で比較しますと、男性が20km飛べる現在、女性でも1km飛べるようになりました。
距離の比較もさる事ながら、女性の場合は、 滑走〜離陸・定常飛行に移るまでの上昇のために有効なエネルギーの多くを 費やしてしまっている のが現実で、それをどうやって克服するか?が重要だと思います。