秘書室

-社長の日記-


本社業務部

秘書課(過去の日記)


平成10年3月31日(火)

明日から5月のアタマまで、日記が更新されません。
日記だけでなく、弊社の機能は完全に停止してしまいます。
社長個人のメールに至るまで、すべてです。
誠にご迷惑をおかけいたします。ごめんなさい。

さて、昨日は寮への引越し作業をおこなった。
と言っても、荷物を搬入しただけなのだが・・・
明日は身一つ(贅肉付き)で寮に入る。
これでまた当分、女の人との出会いはなくなってしまうのであった。
結局、入寮までに彼女を作ろう計画は見事に失敗に終わった。
合コンにも参加できなかった。
無念・・・
いかんいかん、人生明るく考えなきゃ!
おっしゃ!一年経ったら後輩の女の娘をだまくらかそう!
・・・最近ろくな事考えてねぇな・・・

昨日の日記−−−1/4


平成10年3月30日(月)

昨日、岡部町のアコード乗りの方と浜松に焼き肉を食べに行った。
立川のすたみな太郎は私のいきつけだったのだが、
引っ越してからは浜松のすたみな太郎がいきつけになりそうだ。
すでに3回目である。
今回はアコード乗りの方が私の就職を祝っておごってくれたので、
財布的にも気分的にも最高である。
だが、ここに来るといつも思う事がある。
どうして飲み物の無料券が発行店のみ有効なのであろうか?
立川店の無料券は腐るほど持っているのに、浜松店では使えない。
以前、野田店でも同じ目にあった。
成田では、それだけの理由で他の店に入る事になった。
すたみな太郎HPで意見させて頂いた事もあったが、
丁寧なお返事を頂戴しこそすれ、改善はされていない。
これさえ何とかなれば最高の店なのになぁ、とか思いつつ、
膨れたおなかを抱えて帰路に就いたのでした。
最後に、アコード乗りさん、ごちそうさま。ありがと!

昨日の踏み切り−−−1/4


平成10年3月29日(日)

引越準備に追われる・・・
めっちゃ忙しい・・・

友人(岡部のアコード乗りの方)に指摘される。
「27日から、日記、更新されてないじゃん!」
はい、そのとおり。更新されていません。
「駄目じゃん!」
はい、そのとおり。駄目です。
でも、事情もある訳です。
ここのところ、両親が家にいがちで、HP更新滞りがちなんです。 ・・・
すみません、それだけが理由じゃありません。
じつは、せっかく日記書いてたのに、
アップするのを忘れていました!
ごめんなさい!
結局、馬鹿なんだよな・・・

昨日の踏み切り−−−2/3


平成10年3月28日(土)

引越しの日が近づいてきた。
「え?また?」と言われそうであるが、そう、またである。
今回は必要最小限のものしか持っていけないので、ちょっと楽。
明後日までに荷物を寮に運び込んで、明々後日には入寮である。
無論、そうすると日記が書けなくなってしまう。
カスタマサービスもメールも×
はぁ・・・
ホント、ごめんなさいなのです。
ま、もしよろしければBBSの方ででも遊んでて下さい。
あ〜あ。今年は花見も行けないし、最悪だなー。
せっかくきれいに開花してきたのに・・・

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月27日(金)

昨日は長旅だった。
焼津発、多摩→埼玉→多摩→池袋→富津→木更津→川崎→埼玉経由、焼津着。
走行距離921Km。私の一日あたりの走行距離記録の2位である。(1位は1053Km。)
で、途中、埼玉県内で面白い(と言ってはいささか不謹慎なのだが)モノを見た。
埼玉県警が設置している電光掲示板なのだが、
「昨日の県内の交通事故死者・1人」とかいうように表示が出る。
ここまではありがちなのだが、次の画面がびっくり。
「越谷市・男・63才」
そして更に次の画面では、泣き顔の画が出る。
ここまで細かいのは初めて見たので、かなり印象に残った。
なるほど、これはいい方法かもしれない。
「死者何人」と書くと、それ自体が記号化してしまって、重大さが良く伝わらない。
しかし、その数字にキャラクターを持たせれば、
情報の重大さがよりよく伝わるという訳である。
ただ、若干の問題も感じざるを得ない。
ご遺族の心境である。
このあたり、考えるになかなか難しい。
・・・要は、難しい事を考えなくてもいいように、
埼玉県民が交通事故で死なないための積極的な努力をして欲しいってところだろうか?
頑張って下さい、埼玉の皆さん。
あ、もちろん他都道府県でもこれは同じですけどね。

昨日の踏み切り−−−1(1)/3


平成10年3月26日(木)

寮生活に備えて、必要なものの準備に忙しい。
もともと一人暮らしをしていたのだから、準備も簡単だと思っていたのだが、とんでもない!
意外とそろっていないものである。
その上、持物に一つ一つ名前を入れなくてはならないのだが、これが面倒。
特に小さいものなんかは、いちいち名前を入れるべきかどうか考えなくてはならない。
しかし、何の因果でひと月に二度も引越しをしなくちゃならんのだ!
おかげで、家の中が全く落ち着かない。
何より、自分の部屋が一番落ち着かない。
だから、パソコンが自分の部屋に持ち込めない。
で、今は居間からネットに繋いでいるという次第。
HPの更新はもちろん、メールやBBSの書き込みすらもままならないのである。
と言う訳で、恐らく更新できないままになってしまう事でしょう。
うーん、長い言い訳だなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月25日(水)

人は、小さすぎるものを見ることができない。
組織細胞やウイルスのようなものは、当然ながら見えないのである。
これは或いは、単に人の能力の限界という訳ではなく、
その方が我々にとって都合がいいから見えないようになっているのかもしれない。
杉花粉の一粒一粒まで見えてしまったら、きっと卒倒してしまう人も出てくるだろう。
人は、大きすぎるものを見ることもできない。
普段暮らしていながら、地球の全容を見られるような人はいない。
これも或いは、単に人の能力の限界という訳ではなく、
その方が我々にとって都合がいいから見えないようになっているのかもしれない。
雲の全容が見えていたなら、空ばかりが気になって仕事が手につかない。
ところが、
人は、小さすぎる問題も大きすぎる問題もよく見えてしまう。
取るに足らない些末なことにクヨクヨする。
考えたってどうしようもないような重大なことに悩む。
心の目は、眼ほどによくはできていないのである。
だから、自分なりに悩むべき事とそうでない事とを分類していかなきゃならない。
でも、それって難しい。
どこからどこまでが「小さい」或いは「大きい」のか?
この問題が見えてきて、また悩んじゃったりして・・・

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月24日(火)

実家にいると、酒がうまい。
一人で呑んでいるより、やっぱり相手がいた方がいい。
しかも、黙っていてもつまみが出てくるし、そもそもわざわざ酒を買っておく必要が無い。
その上、システムダウンしても誰かが面倒を見てくれる。
これはいいぞ。
酒は実家で呑むに限るのである。
が、朝が来るとどうも妙な感じになってくる。
「さて、今日は何時に帰ろうかな?」などと思ってしまう。
もう、多摩には帰る場所なんて無いのに・・・
どうも、今までの私が、実家に帰るたびに酒を呑み、
翌朝慌てて帰るという行動を繰り返してきたために、こうした感覚に陥るようである。
来週からは寮生活が始まるが、またその時にも何か妙な感覚が出てくるのであろうか?
・・・いづれにしても、夜毎「HP更新しなきゃ」って思うことだけは間違いあるまい。

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月23日(月)

社長、窃盗の被害に遭う!と書くと大袈裟だが・・・
ウチの本家では山に猫の額ほどの土地を持っていて、
そこに椎茸のほだ木を10本くらい置いていた(その程度の広さの土地です)のだけれど、
そこに鈴なりになっていた椎茸が、どっかのおやじに根こそぎ盗まれてしまったのだ。
それこそ、一本も残さずに、である。
食べる分だけっくらい盗んでいくなら可愛気もあるが、
日曜の収穫直前に全部もって行くあたり、全く許せない。
せっかく椎茸焼いて熱燗でキューっといこうと思っていたのに、どこのおやじだ!
食い物の恨みは恐ろしいぞ。
ともかく、どこぞのおやじのために椎茸作ってた訳じゃないので、
ほだ木を本家に移すことにした。
これが結構重労働。
ウチの父も、疲労のせいもあってまた怒り出す。
「まったく、ずいぶんと悪い泥棒がいたもんだな。」
・・・泥棒にいいも悪いもあったもんじゃないと思うのだが・・・

こんなことに半日を費やしてしまった私であるので、当然、引越しの片付けなどできていない。
このままだと、本社機能の完全移転を前に、長期休業に入ってしまうかもしれない。
そうなっちゃったらごめんなさいです。

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月22日(日)

引越しが終わり、部屋を明け渡して、車で多摩を去ったのが一昨日。
その日は友人の家にいらない荷物を譲りに行ったりして、
首都高で2回、東名で4回仮眠を取って、静岡に着いたのが昨日の9:00頃。
で、また寝る。
と、インターホンが鳴って起きたのが11:30頃。
玄関に出てみると、大学のサークルの後輩の姿が・・・
「?????」
表では、先輩後輩あわせて6人が待ってくれていた。
実は、多摩を引き払ってくる日が、サークルの追いコンと重なっていたために、
彼らとは別れを交わしてきていなかったのだった。
それでわざわざ静岡まで来てくれていたのである。
めちゃめちゃうれしかったが、ウチは引越し荷物が溢れていて接待どころではない。
仕方なく、焼津さかなセンターのさかな大食堂で昼食をとり、御前崎まで行って、 再びウチに送ってもらって別れた。
寝起きじゃなかったらもうちょっと気のきいたところを見せられたかもしれないが、
「ごめんなさい」である。
また、秋頃にでも彼等に会いに多摩に行こう。

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月21日(土)

引越し無事完了!
昨日は6年ぶりに何もなくなった部屋を眺めながら、多摩へ引っ越してきた時のことを思い出した。
毛布と鞄と電話機だけが床に転がっていたあの日のことを・・・
ちょっと涙ぐんでしまったりして・・・
部屋中を掃除して回って、すべての窓を開け放って、不動産屋さんが来るのを待った。
14:55、不動産屋のお姉ちゃんが来て、
15:15、私の多摩での生活が終わった。

郵便局へ、引越しの通知を出しに行く。
が、引越ししてしまった私には、印鑑がない。
「拇印でいいですか?」と聞いてみるが、
「駄目です。」とつれない。
「印鑑、無いんですよー」と説明するが、
「じゃ、買って下さい。」とのこと。
ふんっ、何だい。折角面倒な手続きをしに行ったのに。
もう行ってやるもんかい。
どーせ今ごろ多摩に届く郵便は請求書ぐらいなもんだ。

昨日の踏み切り−−−2/7


平成10年3月20日(金)

昨日の大引越しは、私の準備不足でちょっと手間取った。
先日引越しを手伝わさせてもらった、つくばのマック使いの方に、今回は大変お世話になった。
ありがとう!あなたがいなかったら、倍くらい時間がかかっていたことだろう!
ともかく、一通りの荷物をすべて運び出して、残ったのは、
このパソコンと電話、ホットカーペット、重要な荷物くらいな物になった。
あと数時間すると、これらのものもすべてこの部屋からなくなって、
想い出だけがここに残るのである。
淋しいなぁ・・・
6年間、いろいろなことがあって、周りでもいろいろなものができて、
(工事中のものもたくさんあるけど・・・)
この地の変化していく様子を、ほんの少しだけだけど見ていくことができた。
いい街だった。
ありがとう、多摩。
さようなら、多摩。
また、遊びに来るからね・・・

昨日の踏み切り−−−1/7


平成10年3月19日(木)

写真、あまり撮れなかった・・・
昨日の卒業式、ほとんど撮りたいものが撮れなかった。
かなり残念。
落胆しつつ部屋に戻り、今日に備えて引越しの下準備。
が、ぜんぜんはかどらないままに夜となってしまい、
仕方なくそのまま帰ってきたのであった。
今回の帰省は、バイクを焼津に引き上げるためのもの。当然バイクでの帰省である。
御殿場越えは2℃。焼津に着いたのは23:00。
まさに路面は凍結寸前、身体は凍死寸前。心まで凍ってゆくような気がした。
(ちょっとカッコ付けてみた。)
今日はいよいよ大引越し。
明日は最終引越し。
本社機能の完全移転はいつになることやら・・・

昨日の踏み切り−−−5(2)/6


平成10年3月18日(水)

まずは訂正とお詫びから。
3/15付けの弊社日記におきまして、「D SPACE」さんがガススタネタをやると書きましたが、
まったく私の勘違いでしたー!
訂正すると共に、顧客の皆さんと「D SPACE」作者・特殊諜報部隊さんにお詫びいたします。
ほんと、ごめんなさーい!

焼津から多摩に帰ってきて、何と携帯を家に忘れてきたことが発覚!
いまさら取りに帰る訳にも行かず、困ったことになった。
何が一番困ったって、時計がないのである。
私の携帯は「悲しいけれど時計代わり」なので、
これがないと時間が分からない。
まさか目覚し時計を持ち歩く訳にもいかず、
さりとて他にはまともな時計はない。
携帯に電話がかかってくるなんて滅多にないから、そっちの方はいいのだけれど・・・

さて、今日は卒業式。
一番の笑顔と衣装をとっておくため、カメラの手入れをした。
フィルムも買った。
私の6年間がここに終結するのだなぁ・・・
私らの3年間も、終結するのかなぁ・・・
ここからまた歩き出すことを期待しよう!
なんてな。

昨日の踏み切り−−−4(2)/6


平成10年3月17日(火)

そう、すっかり忘れていたのだが、バイクがまだ多摩にあった。
このまま車で引っ越ししちゃえばいいかと思っていたのだが、
そうするとバイクが残ってしまう。
どうしよう・・・
という訳で、急遽焼津に帰った。
テレビやら何やら車に積み込み、まるで夜逃げのような状態で一般道をひた走り、
16:30頃には無事焼津に到着。
荷物を降ろすのに一苦労。
が、もっと苦労したのは荷物の置き場をどうするかということ。
半年もしたら、また一人暮らしになるかも知れない上、私が生来の資料魔であるため、
処分もままならぬまま、膨大な量の荷物が行き場を失っている。
困ったものだ。
まだ半分くらいしか荷物運んでないのに・・・

昨日の踏み切り−−−4(1)/5


平成10年3月16日(月)

今週は引越週間のため、明日から数日間は日記の更新が変則的になります。
ホントにごめんなさい。
事情が事情ですから、何卒ご理解下さい。

さて、昨日はちょっとしたデートであった。
と言っても、学部時代の後輩の娘が遊びに来たのでドライブしただけなのだが。
あまつさえ、あれをドライブと言っていいかどうかは疑問である。
確かに、昼頃「ドライブでもする?」と言って家を出たのだが、
すぐに所持金がわずか600円程だということに気付き、
ホリデーサービスのやってる郵便局を捜し求める旅になってしまったからだ。
この辺の郵便局なら良く知っていたのだが、
「どっかやってるトコがあるだろう。」と、甘く考えたのが運の尽き。
結局、午後も3時ごろになって小田原市内でようやく発見。
お金をおろして昼飯を食べたら、もう4時。
もう帰るしかありませんでした。
だから、もし誰かが「どこドライブしてきたの?」と聞いてきたら、
「・・・郵便局・・・」
うーん、なんだかなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−2/7


平成10年3月15日(日)

昨日の日記でガソリンについて書きましたが、
弊社取引先(?)「D SPASE」の作者さんからメールを頂きました。
D SPASE」では、夏頃までにガソリンの価格についての裏話を公開なさるようです。
これは楽しみですね。!

さて、昨日は新宿で呑み会だった。
鳥料理をつつきつつ、日本酒でかんぱーい。
二次会まで参加して、帰りの京王線に揺られながら、
京王線に乗るのも最後だなー、と思った。
聖蹟桜ヶ丘からウチまで歩きつつ、「あぁ、このビルはなかったよな」とか、
「この街頭はいつできたんだよな。」とか考えた。
いつの日か再びこの地を訪れた時には、
きっとめちゃめちゃ変わっちゃってるんだろうな。
なーんて、ちょっとセンチになってたら、また踏み切りに引っかかった。
これはきっと変わらないんだろうなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−2(1)/4


平成10年3月14日(土)

車を借りていて何が辛いって、ガソリン代が一番辛い。
バイクよりはるかに快適なので、ついつい長距離乗ってしまう。
が、バイクよりはるかに燃費悪いので、めちゃめちゃ金食う。
まさに、ガソリン一滴は血の一滴なのである。
そんな時、気になるのはガソリンの単価。
最近はガソリンの価格の変動がやたら大きいので、
給油のタイミングとポイントには注意が必要である。
ちなみに、多摩近辺では現在レギュラー約81円/1g。
私の乗っている車だと、2500円ほどで満タンになる。
さて、昨日の午後、山梨県内でガスアップをしてびっくり。
請求額約3500円。
山一つ越えただけで、この価格差は何なのだ!
ちなみに、3年ほど前に京都を訪れた時、
135円/1gとられて、ケンカになりかかったことがありました。
(当時、多摩では約103円/1g)
なんでこうも値段が変わってくるんでしょうねぇ。

昨日の踏み切り−−−2(1)/3


平成10年3月13日(金)

昨日、修論の追加提出を完了。
これで学校の方は手続き等をすべて終えた。
で、手続きついでに、引越しの方の手続きもした。
電気、ガス、水道を止める手続きをし、あとやるのは電話、郵便、住民票である。
どうしてこんな事を書くかというと、
もしも忘れてる手続きがあったら誰か教えて下さるのでは、という淡い期待があるからである。
ともかくも来週の今日、私はこの地をあとにする訳だな・・・

カウンタが1500を突破しました!
これもひとえに皆さんのおかげです。
本当にいつもありがとうございます。
以前は100カウント毎にこのコメントをしていましたが、
顧客数が増加したので500カウント毎に変えました。
ちなみに、記念すべき1500カウント目の方は・・・
ごめんなさいっ、また自分で踏んでしまいました。

昨日の踏み切り−−−1/4


平成10年3月12日(木)

昨日はツイてた!
多摩に帰ってしばらくボーッとしてて、
気付いたら19:30頃になってたので、聖蹟桜ヶ丘の京王ストアへGO!
閉店間際、惣菜コーナーが全品5割引になるのに間に合った。
しかも、21貫入りの特上寿司が残ってたので、さらにラッキー。
これを840円で買ってきた。
でも、すべてがツイてた訳じゃない。もちろん。

帰路、下道を使用したことはすでに昨日のうちに日記に書いたが、
この時使った下道、一部通行止めのため引き返さねばならない個所があったのだ。
通行止めの理由は、「積雪」。
「嘘コケー、もう溶けてるだろー!」と思って行ってみたが、ホントに積もっていた。
ま、正確に言うと、「いまだに除雪が行われていない」ということになるのだが。
この道、一本道なのだが、最初は静岡県の県道で、
途中の峠から神奈川県に入り、
またすぐに山梨県に入って県道になるという道で、
神奈川県の人が除雪作業をするためにはいったん他県に入ってかなり進行せねばならず、
除雪作業が遅れがちなのも仕方がない。
で、また一本道を戻る。
約40分のタイムロス。
その上、迂回路の国道は除雪済みとは言え、路肩に雪が山積しており、
路面はずっと山梨の肥沃な土を含んで湿っている。
あっという間に車は黄土色に・・・
また車洗わなきゃ。

昨日の踏み切り−−−1/2


平成10年3月11日(水)

昨日、修論の複製がやっぱり終わらなかったので、多摩には今日帰って来た。
出発が遅れたので、やっぱり今日中には提出できなかった。
出発が遅れたのは、やっぱり今朝寝坊したからだった。
今朝寝坊したのは、やっぱり昨夜の焼津市内の火事を見守っていたからだった。
高速使おうとして、やっぱり下道にした。
裏道を使ったので、やっぱり4時間ほどで着いた。
と、まあそんな訳で無事帰って来ております。
ああ本当に、忙しい時は鬼のように忙しく、
暇な時は馬鹿みたいに暇な日々よ・・・
今日を含めた10日間はかなり忙しい寄りである。
21日以降の一週間は、静岡でかなり暇になりそうだ。
予定というものはうまくいかないものだなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−2/3


平成10年3月10日(火)

(帰省中書き溜め日記)
昨日は急ぎだったので、久々に高速道路フル活用の帰省であった。
野猿街道からニュータウン通り、裏道なんかを経由して国道129号、
厚木インターで高速に乗り、一気に焼津インターへ。
これだと3時間かからない。
下道だと、空いてて4時間、混んでて6時間以上かかる。
で、なんで急ぎだったかというと、修論を2部複製して至急提出せよとの命が下ったからである。
それで急遽帰省し、ワープロを借りてプリントアウトする必要があったのだ。
今日はほぼ一日中、その作業に追われた。
他の用事もあったので、作業の終了は夜にまでずれ込んでしまった。
これはもう今日中には帰れないこと確実なので、
うちのパソコン(PC-9801VX2)で、この日記を書いている。
ふぅ、明日中に提出できるかなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月9日(月)

昨日はまたまた就職のピンチが訪れた。
私の就職先は運転免許とかも重要視するところなので、
今、違反とかで捕まると、就職は自動的にパーになってしまう。
なので、普段から慎重な運転をより一層慎重に、
さらに、日常の点検もより一層念入りにと、心がけている。
で、今朝。運行前点検でヘッドライトが片方ちょっと暗いかな?と思ったが、
そのまま今日一日は走ることにした。
で、つい先ほど。昨日の23:00頃。
八王子市内を走行中(帰宅5分前)、多摩中央2に止められる。
「なんじゃろか?」と思いつつ、「なんですかぁー?」と聞いてみると・・・
「何じゃないよ、ヘッドライト片っぽ切れてるよっ!」
がーん!!!
がーん!!!
がーん!!!
なんでこうも運が悪いのだろう?
その上、車内検索までされる。
なんでこうも運が悪いのだろう?
その上、0123照会までされる。
なんでこうも運が悪いのだろう?
その上、「今日はこのくらいで許してやる」みたいに言われる。
なんでこうも運が悪いのだろう?
その上、折角だからパトカー見せてもらおうと思ったのに、さっさと立ち去られる。
なんでこうも運が悪いのだろう?
ま、厳重説諭で済んだからいいか・・・
うーむ、やっぱよくない・・・

今日、また静岡に帰りますので、日記は書き溜めになります。
ごめんなさい。なるべく早く帰ります。

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月8日(日)

古いCDを久しぶりに聴いてみた。
たまに聴いてみると、ドキッとする歌詞に当たったりすることがある。

「何故なのか分からない 壊してしまいたい
幸せを 理想的に歩んでいるけど
Good-by昭和 Good-by my life 走り続けた時代は
曲がり角 僕らの愛も曲がり角曲がり角」
(鈴木康博「good-by昭和」)

これ、私が中学生だった頃の歌。
それなのに、何だかその後の日本を言い当てているようにも聞こえる。
確かにあの頃の日本は「走り続け」ていたし、
「昭和」は小渕さんの記者会見と共に「good-by」となった。
「バブル経済」なんて言葉はまだ無名だった時代。
「理想的」に見えた「幸せ」。
あの頃に壊していたなら、今日の経済的惨状は緩和されていたかもしれない。
しかし、それと同時に、あの頃は大多数の人が壊そうなんて発想を持てなかったし、
危機感を持った一握りの人々の意見は、見向きもされなかった。
「壊してしまいたい」なんてことは現実味がなかった。
結局、あの頃はそれで仕方なかったのかもしれない。

・・・なーんて観念的なことを書いているって事は、
昨日は何にもない一日だったって事だわさ。
嗚呼、何と不毛な暇な日々よ・・・

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月7日(土)

多摩生活が、残すところ二週間となった。
しかし、正味は10日を切っている。
何故なら、あと2回ほど静岡に帰る用事があるから。
日々の生活は暇過ぎなのに、暇と暇の間がやたら忙しい。
予定がバッティングし過ぎ。困ったものである。
あと、時期的にも中途半端なので、すでに就職している友人達となかなか会えない。
これからなかなか会えなくなるというのに、これまた困ったものだ。
でもいいや。何とかしよう。
静岡に帰って就職したら、なかなか東京に来られなくなっちゃうけど、
でも会いに来よう、だから君達も会いに来てくれ、という感じ。
ちなみに、引越し最終日は20日。
こっそりひっそり帰ろうと思う。
あ、私は引っ越しちゃうけど、恋人募集は東京方面の人でもOKでーす。
よろしくね。

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月6日(金)

また雪である。
あまり積もらなかったが、岡部町のアコード乗りの人からは、
「3/2の日記、今のうちに書き直しといた方がいいよ。」と指摘された。
書き直しはしないが、訂正はしておかないと。
今回が「東京で見る雪はこれが最後ねと・・・」である。hi。
さて、前回の雪と同じ歌を引用して終わりでは芸がないので、別の曲も引用してみたい。
「やがて来る春が辛すぎたりしないように、
雪どけの前に君に謝りたい、だから・・・」
「雪どけの前に君に会いにゆくよ、だから・・・」
遊佐未森さんの「雪溶けの前に」である。
この歌もまた、とっても当てはまってるなぁ・・・と思う。
しかし、引用する歌にかなりバイアスかかってるなぁ・・・
だって流行の歌なんて聴かないから知らないんだもん!

先日の日記で触れた、新井将敬氏のHPが復活してました。
http://www.st.rim.or.jp/~arai-s/ です。ご報告まで。

昨日の踏み切り−−−3(1)/4


平成10年3月5日(木)

昨日も呑み会であった。
が、今回は呑み会にいたるまでの道のりが、えらく長かったのである。
まず朝5時半に起き、泊まった友人を乗せて6時に家を出る。
8時半に友人を京葉線の駅に降ろし、9時半に成田空港で姉二人を出迎え。
一人を市内の寮に送り、一人を焼津(静岡)まで送る。
そのまま取って返して、本八幡(千葉県市川市)の待ち合せ場所へ。
で、ようやく呑み会開始である。
車なので当然、呑めない。
くぅーっ。
ま、学部時代の知人に久しぶりに会えたので、いいんだけどね。
日付が変わるくらいまで呑んで、(私はジンジャーエール) 終わったところで、車できた私が知人を送っていくことになった。
まず船橋。これは近くて良い。次いで柏。これも比較的近い。
さあ帰ろうかと思って、初めて気付いた。近いとは言っても、確実に多摩から遠ざかっていたのだ。
柏から2時間、睡魔と激闘しつつ車を走らせる。
しかも、走る道はいろいろな想い出が残る道。
辛く寂しく眠い夜は更けて、部屋に着いたのはもう3時。
そんな訳で、日記の更新遅れてごめんなさい。

昨日の踏み切り−−−1/4(終電後の通過を除く)


平成10年3月4日(水)

昨日は呑み会であった。
聖蹟の「鳥はな」で釜飯と焼き鳥を突っつきつつ、皆で呑んだ。
ビール2本と日本酒3合。ちょっと抑え気味である。
なんで抑えたかというと、今日も呑み会だからである。
14日も呑み会があり、18日は卒業式の後で夜に呑み会。
あと、本当は20日も呑み会があるのだけれど、その日は引越し当日なので参加できない。
先月21日あたりから、徐々に忙しくなってきたなぁ・・・
ま、遊び関係ばっかなんだけどね。
でも、こっちの友人に気軽に会えるのも最後だから、頑張って遊ばないと。(?)
さて、昨日の呑み会は学校の友人達とのものだったのだが、
遅くまで呑んでいたので、帰れなくなった友人がウチに泊まっていった。
この友人の一人はすごい男で、学部時代に3年間付き合った恋人を追いかけて、
生まれ育った木更津を去って、遠く愛媛県今治市の高校で先生になるのだ。
正直言って、温厚篤実な好青年然とした彼に、そんな情熱が隠されていたとは思わなかった。
うらやましい限りだ。
私にも、情熱では負けない自信がある。
が、そこまではできないさまざまな事情もある。
事情、人それぞれ。
倖せもまた、人それぞれ。
私の倖せはどんなかなぁー?

昨日の踏み切り−−−1/3


平成10年3月3日(火)

タイミングが悪い、ということがある。
たとえば電話。
寝た途端、やかんに火をかけた途端、あったかいおかずができた途端にかかっ てくることがある。
たとえばガス補給。
長距離走る時、ガス欠寸前の時に限ってスタンドが見つからない。
たとえば来客。
買い物してお金がない時に来る新聞の集金、ドラマの見せ場の時に来る宗教の 勧誘。
こんなこと、よくある。

実は、長らく続いた野菜生活を終了した。
とても耐えられなかったからである。
やはり敗因は、野菜料理のレパートリーの少なさと、
野菜料理を作ってくれる娘がいなかったのとが挙げられる。
ま、ともかく・・・
それで、約一ヶ月ぶりに大好きなラーメンを食べようと思った。
一食分200円の高級生ラーメンを買ってきて、丁寧に丁寧に作って・・・
やっとできて、「さぁ食べよう!」という時に電話。
15分という時間は、ラーメンにとっては長すぎた。
冷たいスープとにちょにちょの麺に涙しつつ、久々のラーメンは不味すぎだっ た。
結構辛いものがある。
やっぱ、どっか食べに行ってればよかったなぁ・・・

昨日の踏み切り−−−0/0


平成10年3月2日(月)

多摩に帰ってきました。
ここのところ多摩−静岡間を行ったり来たりで、
日記の更新が滞りがちでごめんなさい。
20日の最終引越しまでの間に、あと最低2回は帰省することになり、その間更 新が滞ります。
また、4月1日からはしばらく更新ができなくなります。
ほんと、ごめんなさい。

さて、東京はきのう、また雪であった。
多摩地区は殆ど積もらなかったが、都区内の方は結構大変だったようである。
それにしても、お天気の神様はなかなか粋だ。
今年雪が降ったのは、みんな日曜日。
これなら経済への影響も最小限であり、子どもらは喜ぶ。
しかし、そんな雪を見て私はちょっとしんみりしてしまった。
「東京で見る雪はこれが最後ねと寂しそうに君が呟く」
って状態だからである。
しかも、私には寂しそうに呟いてくれる「君」もいない。
あ〜あ。
せめて知人方、私がこっちにいる間に会いに来てくれ。
よろしく。

昨日の踏み切り−−−2/5


平成10年3月1日(日)

(帰省中書き溜め日記)
いやー、いい結婚式だった。
おいしいお酒を呑んだ。(また呑んでる・・・)
ほんと、いい気分。
私が言うのも変だが、美男美女の結婚で、しかも双方とも真面目ないいひとな のである。
「天は二物を与えず、というのはウソだなー」と、思うほどの
いい男・いい女同士の結婚である。
いいねー!
いいなー!
いーないーな!
・・・あそこまでできた人じゃなくていいから、どっかにいないかなー。
分相応程度の人でいいから、誰か出てこないかなー。
と、書けども書けども独りな私って、一体・・・
何にしても、友人よ、おめでとう。
私もいつか倖せ掴むからね!

昨日の踏み切り−−−0/0(自分以外の運転を除く)