鳥人幸吉伝
・・・空にあこがれ鳥になることに一生をかけた男の物語・・・

第12話  エピロ−グ

 鳥人幸吉の一生を通じて、『夢をいつまでも一生懸命に追いかける』ということの大切さを私は感じた。幸吉のこの姿勢を一人でも多くの人に伝われば幸いである。

 また、幸吉が行なった事が日本でなければ、今では航空史に輝いていることだろうと思っている。ことに江戸時代は、ひたすら額に汗して黙々と労働することを幕府は推奨していたので、普通でないことをする者については否定する傾向にあった。この考えはいまでも我々の潜在意識に残っているのかもしれない。エレキテルの平賀源内も同様に所払いなどの処遇を受けている。江戸時代は、科学者にとっては虐げられた時代であったと思われる。

 以降の文章は笑って読んでいただきたいのだが、私は『リリエンタ−ルは幸吉の生まれ変わり』と信じている。というのは、リリエンタ−ルは12歳の時に滑空機の模型を作製している。ダ・ビンチと幸吉は羽ばたき機(オ−ソニプタ)から挑戦しているにも関わらず子供のリリエンタ−ルが滑空することに既に着目しているからである。
リリエンタ−ルは『人間の筋力では羽ばたいては人は飛べない』ということ(アルフォン・ボレリの理論)を生まれる前に知っていたのではないかと私は思っている。

 現在、岡山市の旭川京橋には幸吉の偉業をたたえる石碑が立てられている。幸吉が生まれた玉野市では、鳥人幸吉町おこしをしようといろいろなイベントが企画されている。同じく岡山の吉備ニュ−サイエンス館には、幸吉の再現模型が展示されている。 一方、磐田市では大見寺の墓には案内板が出され、空飛ぶからくりの模型が吊り下げられた菓子司『又一庵』では『幸吉まんじゅう』が作られている。岐阜県各務原市に最近オ−プンされた『かがみがはら航空宇宙博物館』の航空史のパネルの先頭に、「1785年表具師幸吉初飛行」と表示されている。 

 幸吉の偉業をこれからも多くの人たちと連携をとりながら広め、世界にもアピ−ルしていこうと考えている。

最後まで読んでいただきました事に感謝いたします。
合掌