鳥人幸吉伝
・・・空にあこがれ鳥になることに一生をかけた男の物語・・・

第9話  所払いの後

 岡山城下を所払いになった幸吉は暫くの間、生まれ故郷の八浜にいた。兄の瀬兵衛は父の名と桜屋を継ぎ、旅館を営んでいた。八幡宮の尾崎多門や瀬兵衛をはじめ親族一同は、幸吉の今後の事を案じ親族会議を開いた。当時の所払いは、ある期間謹慎生活を送り、帰郷願いを町奉行所へ提出すると許されることが多かったので、兄の瀬兵衛は再び岡山へ戻り表具師として仕事をするようにと主張した。しかし、幸吉自信は再び岡山へ戻り、前と同じ仕事をすることは考えなかった。前科を持つ者に大切な掛軸などを預けてくれる訳はないだろうし、せいぜい襖や障子の張り替えの仕事しかないと思われた。備前屋万兵衛としても、幸吉の職人としての腕は評価するが、一度ならずも二度も空を飛ぼうとした者を店においておくことはできないという意見が手紙で届けられた。

 幸吉は、尾崎多門の口入れで八浜一の商いをしている橋本屋の手伝いをしていた。しかし、いつ迄も八浜にいる訳にはいかないと思い、橋本屋の商品を全国へ運ぶ船に乗り込んだ。当時、八浜では近海の海産物の他に児島(戦後は学生服の産地となった)の綿を上方や江戸などへ送っていた。幸吉は橋本屋の船に乗り、商品を得意先へ運ぶ仕事を行なって、東は江戸から西は博多まで全国の港と町を訪れる生活を送った。幸吉はその間、今までに知らなかった多くのこと学んだ。特に、精巧な歯車仕掛けの時計には興味を覚えた。この時計のからくりは、翼の方向制御に用いることができるのではないかという観点で、時計を手に入れ何度も分解しては組み立てることを行なった。

 また、幸吉は多くの港や町を見て回ったが、駿河の美保の松原の美しさには圧倒された。海から見る富士山、白砂青松は絶景であったが、それ以上に幸吉の気持ちを捕えたのは羽衣伝説だった。白梁という漁師が松の枝にかかった美しい衣を持ち帰ろうとし、天女が現われた。舞いを見せる事を条件に白梁は衣を返すと天女は舞いながら天に帰っていったという伝説である。幸吉は鳥のように飛びたいという思いで翼を作ってきたのだが、幸吉の翼は羽衣と同じであった。 幸吉はこの地で生活することにした。

 幸吉は橋本屋に頼み、船を下りて駿府の府中(現在の静岡市)江川町に小さな店を出すことにした。屋号を備前屋と称し、八浜や備前からの綿や雑貨を仕入れて販売する店であった。この店は徐々に繁盛した。数名の丁稚や手代を雇っても手が足りないし、しかも幸吉は一人身であり跡継ぎがいないこともあり、幸吉は兄瀬兵衛の次男である幸助を養子にした。