塩飽領の成り立ち

 有史以来、瀬戸内海の海賊として活躍してきたが信長の時代より中央政権の水軍部門に組み入れられ,秀吉の時代においても朝鮮出兵等に見られるごとく水軍部門においても大活躍している。関ヶ原の戦い直後、家康の戦勝祝いに駆けつけ領地安堵されている。


徳川家康朱印状

 家康の朱印状により塩飽は無税の地であり年貢を納める必要がなく完全な自治がおこなわれている。江戸中期以降は代表者である年寄職も選挙で選んでいる。 公儀御用中は幕府の足軽身分である。広島福島家押収時には全員武装している。幕末軍艦に乗船時における服装は割羽織着用、刀一本である。勿論役目が終われば百姓身分である。給与が支給されれば武士、自分で稼ぐのが百姓とも言えそうである。

塩飽勤番所 ここで選ばれた年寄は政務をおこなっていた。肩書きは「大阪船手組塩飽島役人」である。
 塩飽に限らず江戸時代は百姓の力は非常に大きく遣米使節(日米和親条約調印)には多くの百姓が同行し世界一周している。

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