12.サマ−スク−ル

“目の不自由な人をもっと知ってもらうために”を開催して

 目の見える学生さんを対象としたサマ−スク−ルを、私達は開催しています。眼科の先生から眼の働きや病気の話をしてもらい、目の不自由な人に便利な日常生活用具の紹介、目の不自由な人の体験談、盲導犬の話なども行っています。

 さらに、アイマスクをつけて誘導歩行の体験学習もやってもらっています。数時間の練習で、ほとんどの人が誘導歩行の技術を身につける姿をみて、学生さん達の上達の早さに驚きます。

 その時の参加者の感想文を紹介しましょう。


 “真理子はすごい人だ”

小学生  大渕 和博

 目の不自由な人は、まわりのじょうほうが80%もわかりません。ぼくは、そのことを聞いて、真理子(和博君の妹で目が不自由)は、何でもわかっているみたいだったけど、80%もわからないのかと思いました。わからないぶん、ぼくは真理子にいろいろ教えてあげたりしたいです。

 ゆうどう歩行でかいだんの上り下りの時、とてもこわかったです。とくに下りの時は、足がすべっておちないかなと思いました。真理子は目が見えないけど、かいだんのとき、「こわくない」といっていました。真理子は、すごい人だと思いました。


“大人の価値観で

  社会の枠から投げ出さないで”

  専門学校生 今井 信吾

 疑似体験では、目が曇って見えるメガネや視野が狭くなって見えるメガネについて説明がありました。後でかけてみると、曇って見えるメガネは、遠くは見えないけれど前に進むことができました。しかし、視野が狭く見えるメガネは、前が点にしか見えないので、怖くて前へ進めませんでした。自分で体験してみて、目の大切さと障害を持っている人々の苦労が、少しわかった気がしました。

 体験談を話してくれたお父さんの中で、子供を普通の学校に通わせていると言っていましたが、私の友達にも精薄のような感じの子がいますが、小・中と一緒に学校生活をしていく中で、抵抗はありませんでした。小さい頃から経験していれば、それが当たり前になるのです。かえって大人の価値観で、社会生活の枠から投げ出さないように、注意が必要だと思います。

 目や口など体の何処に障害があろうとも、障害を人間の個性として見ていけるような社会が、必要だと思います。障害がある人も、人間の権利として社会資源の積極的利用、積極的社会参加をするべきだと思います。また、できるように私たちが後押ししていきたいと思います。


“もっと早く

  誘導歩行を勉強しておけばよかった”

 専門学校生 佐藤 綾子

講師の金沢さん(視覚障害者)とは、休憩時間にトイレで一緒になり、トイレ、そして会場まで、慣れずへたくそな私の誘導歩行についてきてくれた。

 まだ、その時は誘導歩行の勉強をする前で、どうするのかわからなかった。でも、何とか右ひじに手をかけてもらい、「右、左へ行きます」の声かけもせず、「それじゃ、行きますよ」と、ふりまわしてしまった。もっと早く誘導歩行を勉強しておけば良かったと思った。申し訳ない事をしたな、と思った。金沢さん、怖かっただろうな、と思った。

 それから、印象に残っているのが、まゆみちゃんのお母さんから、「ホ−ムで電車を待っていると、点字ブロックの上に人が立って困る。階段で手すりを使っていると、白いつえを見ても、ゆずったり、よけたりしない」という事を聞いたときです。ショックでした。そんな人がいるのかと。

 しかし、先日、親友からこんな話を聞きました。東京の駅で、車いすの方と一緒に階段で助けを呼んだら、どういう人が手伝ってくれると思う?と。すると、いい年のおばさんやサラリ−マンは通り過ぎ、読書好きそうなおとなしそうな女の人か、茶髪の若い人が、「手伝いましょうか?」と声をかけてきてくれる事が多いそうです。その話を聞いて、うれしい気持ちになった。そのうち、自然と、当たり前のように声かけする社会になってほしいと思います。


“目がすこし見えないだけで

      あとは普通の人でした”

中学生 中村真理子

 サマ−スク−ルに参加して、目の不自由な人は私たちの力も必要だし、みな同じ人だと思いました。
 目の見えない人の誘導については、とても勉強になりました。一緒に歩くときときも肩などを押して歩けばいいと思ったけど、そのやり方が一番悪いと聞いてビックリしました。 誘導の仕方も思ったよりもむずかしくはなく、だれでもできると思いました。
 しかし、目の不自由な人に声をかけることは、少しむずかしいと思いました。はずかしいというか、何となく声をかけにくくなってしまいます。でも勇気をすこしだけだせば、簡単にできることだと思います。すこしの勇気でお互いが、いい気分になれればいいと思いました。
 そして、実技の階段の登り降りはとてもこわかったです。下りはすこしらくでしたが、登りは階段がおわっていてものぼったり、前の人にぶつかったり。アイマスクをしていたのですが、ぶつかりそうになったので、アイマスクをはずしましたが、目の不自由な人は、アイマスクをつけていないし、とてもたいへんだと思いました。目の見える人にはどうってことのない日常生活が、目の不自由な人にはとてもたいへんなことを、サマースクールに参加してよくわかりました。
 そして最後に、サマースクールに参加した目の不自由な人と握手をしましたが、目が少し見えないだけで、あとは普通の人でした。私はすこしかんちがいをしていたようです。


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