150人の方が参加してくださいました。数にも驚いたのですが、多様な人たちの参加が、嬉しいでした。
見えにくい人も、障害のある子どもたち、脳性麻痺の青年、車いすの方、10人の高校生ボランティアも…
そして、高齢者、障害のある人たちが、声を出す・相手に伝えることが、共に生きる~人と人がつながることに大きな意味がある。
「詩」や短文なら、高齢になっても、話しづらい人でも、深く読み込むことで、自分の声で人に伝えることができ、自信になる。
「多くではなく深く」の大切さを教えてもらった気がしました。今、いろんな声が届き…新たな力?これからのあり方のヒントがいっぱいあるように思いました。
この会の開催にあたり、当日には、目には見えない多くの方々のご支援がありました。心より感謝しています。有難うございました。
参加者に配布した資料プラス、詩と短歌も追加しました。
平成10年、皇后様は、国際児童図書評議会インドニューデリー大会において基調講演をされました。 そのご講演は、世界各国の参加者が深く心を動かされ感動の渦に包みこまれたそうです。 その中で新美南吉の童話「でんでんむしのかなしみ」をご紹介くださいました。 2004年4月の朝日新聞には、皇后様のお言葉が・・ 「誰もが弱い自分を恥ずかしく思いながら、それでも絶望しないで生きている。 そうした姿をお互い認め合い、懐かしみ合い、励まし合っていくことができたら」
(1913年7月- 1943年3月22日)雑誌『赤い鳥』出身の作家の一人であり、彼の代表作 『ごん狐』はこの雑誌に掲載されたのが初出。結核により29歳の若さで亡くなったた め、作品数は多くない。 南吉は、あくまでも人から視た主観的・情緒的な視線で自分の周囲の生活の中から拾い上げた素朴なエピソードを脚色したり膨らませた味わい深い作風が多い。「でんでんむしの悲しみ」を見えない方が朗読します。
放送作家を経て、1990年に「叫ぶ詩人の会」を結成、1999年に解散。 2年ほどニューヨークに滞在して、帰国後は「明川哲也」の名前で主に執筆とライブ ハウスで活動。ラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め、伝説的な人気を博す。 2011年から「ドリアン助川」に名前を戻して『バカボンのパパと読む「老子」』(文 春文庫)「ピンサの島」「多摩川物語」(ポプラ社)作家として活動している。
福島県・会津の山間部の中学校では、「あん」の映画の感想を言えずに固まってし まった女生徒を、希林さんは全身で抱きしめた。『私も同じだったんだよ。 ひとこともしゃべれない子だった。でも、胸の中にはたくさんの言葉があるよね。』女生徒は無言のままうなずいた。
人の悲しみを自分のことのように悲しめるか。
四月半ばを過ぎてもまだ寒い今日
ボランティアの仲間の花見
ワァ 満開だ
科学博物館の横を通って鳥屋野公園
立派な木々が 隣の木と手を繋ぐように枝を伸ばし
空いちめんに花を咲かせている
さくら さくら色 さくら色の空
お弁当を囲み大きな輪ができる それぞれ活動に忙しく
久しぶりに会えた 顔 顔 お互いの健康を気遣う
突然
一番元気の良い父ちゃんが立ち上がる
うちの母ちゃんが悪性のリンパの癌で入院した
治ったらまた皆と動きたいと・・・・
皆 一瞬声が出ない
さくら色の空を見上げた
父ちゃんも気をつけてね・・・
皆の思いをそっと包んで さくら色の空は
優しく やさしく 広がっていた 平成22年4月28日
以上、昨日の資料に、小林さんの詩、上林さんの短歌、岩崎航・星野富弘詩画集をプラスしました。 あすなろ小島