鳥人幸吉伝
・・・空にあこがれ鳥になることに一生をかけた男の物語・・・

第8話  裁きの日

 天狗に驚いた老夫婦は番所へ駆け込み、事の始終を目明に報告した。目明はかねてより、備前屋の職人・幸吉が天狗の真似事をして怪我をしたという噂を耳にしており、幸吉が家にいることを確認して同心へ通報した。

 幸吉がようやく興奮から覚め、やがて睡魔がやってきた頃、東の空が明るくなりてきた。すると、いきなり玄関が開く音がした。幸吉は弥平が心配して立ち寄ったと思ったのだが、幸吉が振り向くと町奉行所の同心と目明、案内してきた五人組頭の三人が玄関に立っていた。「備前屋表具職人の幸吉とはその方か。天狗となって空を飛んだという訴えがあったので召し捕ることになった。」と同心がいうと、幸吉は目明に十文字縄を打たれてしまった。そして、隠そうにも隠し切れない大きな翼も証拠として奉行所へ持ち運ばれていった。

 幸吉は弓之町の長屋牢へ入れられ、調べを待った。長屋牢は3間×9間の54畳を4室に区切り、罪の重さの順に入れられるものであった。幸吉は、雑犯を収容する四番牢に入れられた。調べでは「天狗や鳥の真似をして、夕涼みの老夫婦を驚かしたことは不届き」ということであった。幸吉は、実際に飛んだことを素直に認め、町目付が正式調書として書いた『口書爪印』に拇印を押した。後は、お白洲での裁きを待つだけであった。裁きの日を幸吉は、5日、10日と待っていた。

 その間、奉行所では町目付と部下の同心6名が悩んでいたのである。空を飛んだということがいかなる罪になるのか判断がつかないのである。当時の慣わしとして、大阪の奉行所へ判例を問い合わせを行なったが、前例無しの回答だった。しかし、当時は天明の大飢饉に代表される様に各地は天災に被り、世情が不安定であり、人心は不安感を抱いていた。そこに、天狗騒動である。奉行所としては、なんらかの処分はきちんとしなければならない。

 一方、備前屋の万兵衛は甥でもあり、腕の良い表具職人が召し捕えられたことに驚き、何とか命を救うべく奔走した。中組の名主である表具屋の仲介で総年寄に嘆願をし、八浜・八幡宮の宮司多門を通じて社寺奉行に嘆願し、更に得意先の要職にある武士など、考えられる手段を講じて嘆願をしていった。こうした、願いが通じたのか、岡山町奉行の川口忠左衛門(300石)の耳に入り、備前藩の重臣達が談合して、腕の良い職人の命を奪うこともなかろうということになった。

 裁きの日がきた。お白洲の中央に十文字に縄を打たれた幸吉が座り、万兵衛と弥平が身元引受人として脇に控えている。奉行が現われて、予め書きしたためられた判決文を読み上げた。「上之町の備前屋表具職人幸吉、平素より鳥を捕まえ解体し不審な行状の上、鳥に見立てた姿をして京橋から飛び降り、多くの人心を騒がしたる事、不届き至極。よって、所払い(追放)を仰せ付ける。有り難くお受け申す可し。」

 当時の所払いは財産没収が前提であったが、当の幸吉は一介の職人であるから財産があるわけでもない。また、所払いにも町払い、村払い、郡払い、国払いのレベルがあるが、恐らく幸吉は郡払いであったと思われる。予めこの判決を前々日に目付から聞かされた幸吉は、予め用意されていた受書に爪印を押していた。そして、受書には、名主、店主である万兵衛、親族代表の弟弥作が署名連判していた。「有り難くお受け申しまする」と幸吉は大きな声で答えた。万兵衛も弥平も喜び、互いに顔を見合わせていた。

 翌日、八浜へ身を置く事にした幸吉は、万兵衛と弥作に深々と頭を下げ船に乗り込んで旭川を下っていった。


岡山・京橋にある幸吉の碑